早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

明るく楽しい勉強会

まとめのまとめ(kyakkyauhuhuhuさん)
・放射能汚染地図、浅間山のクリアファイル・地質図は、きつねの雑貨屋さんから購入できます。
2016年予定
・5月13日 3人の火山学者が見た新燃岳2011年噴火@高原町ほほえみ館
・5月15日 巨大噴火@鹿児島市天文館
・8月12-14日(予定)、鬼押出しハイキング、弁当パックリ帯模型@北軽井沢のキャンプ場スウィートグラス
・8月22-24日 教員免許更新講習@草津温泉

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阿蘇カルデラ内をひさしぶりに揺らした2016年4月16日熊本地震

地表の変化を観察することによって、4月16日0125の地震が阿蘇カルデラ内を何年ぶりで揺らしたかを推し量ることができる。

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米塚スコリア丘にヒビがはいった。時事通信写真。米塚スコリア丘は1700年前の噴火できた。


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南阿蘇村の奇岩「免(めん)の石」が落ちた。朝日新聞写真。

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山歩記より転載

熊本-阿蘇-大分地震

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阿蘇神社から宇土市役所まで、自然の仕業はきれいに一直線上に並ぶ。(死者と新幹線脱線は人為だから少し外れる)

4月14日2126 熊本地震M6.5、死者9人
4月16日0125 本熊本地震M7.3、死者40人くらい、阿蘇大橋喪失

▼ツイートまとめ
阿蘇大橋はない。熊本-阿蘇-大分地震の被害マッピング。
熊本地震の予知 予知行為は現在も進行中(地震にしてはめずらしい。噴火みたいだ)
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磐梯山1888年噴火供養祭


磐梯山1888年7月15日噴火では、477人が死亡した。毎年7月15日に猪苗代町が供養祭を、隣接する西円寺と西勝寺で交互に行っている。両寺に供養碑がある。

浅間山1783年噴火の105年後の噴火だが、ここでも災害伝承が続いている。ただし浅間山鎌原では毎月2回、地域文化として成立しているが、磐梯山では町主導で年1回である。昭和23年(1948年)から始まったそうだ(平成23年チラシ)。

昭和23年に開始された磐梯まつりは、明治21年7月15日の磐梯山噴火で殉難された方々の追悼と供養を目的として始まり、その後、五穀豊穣や町民の安寧を祈願する“火の祭り”として継承・発展してきました。


7月15日に寺で供養したあと、7月最後の週末に大きな夏祭りを実施している。

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磐梯山1888年崩壊による村別死者数
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鎌原村散歩

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天明三年七月八日(1783年8月5日)に浅間山から流れてきた土石なだれに鎌原村は、鎌原神社(左の白丸)を除いて、すっかり埋まった。観音堂(右の白丸)に至る石段50段を駆け上がった93人が助かって、477人が土石に飲まれた、とされる。

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観音堂の石段に向かって左側に十王堂と呼ばれる粗末な倉庫がある。その内壁に、興味深い木板が無造作に釘打ちされている。

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その木板には、噴火から37年後の文政三年八月(1820年9月)に寒念仏を奉納した女性15人の名前が、冒頭に書かれている。15人のうち「ふよ」と「さよ」を、天明三年(1783年)生存者記録の中にみつけることができる。ふよは死んだ萬之助(30歳)の妻だったから噴火当時20代だったろう。その37年後は60歳を少し超えた年齢だったはずだ。

噴火災害を生き延びた老女たち15人が観音堂に集まって、供養のための念仏を唱えたのではなかろうか。だからこそ、封建社会では下位に置かれた女性たちにもかかわらず、冒頭に名前が掲げられているのだと考えられる。女性生存者44人のうち名前が記録されているのはわずか10人に留まる。34人の名前はわからないから、「ふよ」と「さよ」以外の13人も生存者だったと考えておかしくない。

このときの寒念仏が、鎌原村にいまも続く回り念仏の始まりだとみられる。天明三年噴火死者を供養するために女性たちだけが念仏を唱える。ごく最近まで家々を回って毎月2回開かれていたが、いまは村内集会所で開かれている。
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桜島に噴火警戒レベル5が宣言されたら、


白浜と武は、桜島内でもっとも安全な場所だ。現在噴火中の南岳との間に北岳があって高まりをつくっていて、距離も昭和火口から5キロ以上離れている。卓越風の風上側でもある。山側の着色した範囲に噴火口が開かない限り、島外に脱出しないでそこに留まったほうがよさそうだ。

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浅間山の1108年追分火砕流は山頂火口から南北に12キロずつ流れた。もし、これと同じ火砕流が桜島から西方向に下ったら、鹿児島中央駅まで届く。海上よりも山かげのほうが、火砕流危険は小さい。海上に出た火砕流は広げた扇のように進むから、噴火口から離れたい一心で海に出ると、場合によってはつかまってしまう。
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2015年の火山噴火

▼阿蘇
9月14日0946 8万トン、火砕流1.3キロ
▼箱根山
6月29日1230から翌日まで、100トン、水蒸気性の灰噴火、1.2キロの早雲山駅に10g/m2、4キロまで。
▼浅間山
6月19日17時、10トン、灰噴火、黒斑山カメラレンズに火山灰付着。
6月16日09時、400トン、灰噴火、鎌原観音堂に積灰、13キロまで。
▼口永良部島
6月18日1217、5万トン、ブルカノ式、9キロ東の海上に3センチの火山れき、屋久島一湊に降灰。
5月29日0959、24万トン、ブルカノ式熱雲、海まで。
2014年8月3日 1万トン、ブルカノ式熱雲。
▼御嶽山
2014年9月27日1153、50万トン、ブルカノ式熱雲、63人死亡。

2000年噴火データベース

鎌原村てんでんこ

天明三年七月八日、浅間山噴火によって鎌原村は土石なだれにすっかり埋まった。村人の8割を超える477人が死亡して、観音堂の階段を駆け上がった93人だけが助かったとされるが、実際には93人全員が観音堂に駆け上がって助かったのではなく、村の外に出かけていたために命を落とさずにすんだ人もいたようだ。

家長との続柄を記した家単位の死亡者名簿はすでに活字になっているが、今回、鎌原村で月に2回おこなわれている回り念仏で正面に飾られている掛け軸に、死亡者の続柄だけでなく年齢も書いてあることに気づいた。年齢がわかったことによって家族構成がはっきりして、その日その時刻に鎌原村でみられただろう避難行動を具体的に想像できるようになった。

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鎌原村死者477人の年齢入り掛け軸(部分)

生存者名簿は、飢人夫食拝借小前割帳が活字になっている(ここでは、児玉ほか1989東大出版会10-12を利用した)。ただし家代表の名前しかわからない。代表以外の名前と年齢と続柄はわからない。代表の年齢もわからない。

被災当日、鎌原村には96家があった。70家は全滅したが、17家で2人以上が助かった。なんらかの緊急避難行動を取ったのだろう。三陸海岸に伝わる津波てんでんこと同じことが実行に移されたとみられる。17家のうち3家で全員が助かったが、残りの14家では死亡者が出た。なお単独生存者9人は被災時に村を離れていたために助かったとみなして、ここでは考察しない。

爆発があった柳井沼から鎌原村まで 8 km。村人は大きな爆発音を聞いたはずだ。土石なだれがこの区間を 120 km/hで走ったとすると、村民に与えられた猶予時間は4分。近づく土石なだれが鎌原村の大地をしだいに大きく震わせた。前夜、浅間山の上に高く昇った噴煙から無数の火石が飛び散るのを見たばかりだった村人は、その正体はわからないながら、あるいは正体がわからないからこそ、文字通り命にかかわる恐怖を感じたことだろう。

大部分の村人は異変を感じても避難行動に移らなかった。そして一家全滅した。少数の村人が異変を感じてすぐ避難行動に移った。その多くは観音堂を目指した。ただし、高所にあるからの理由で観音堂を目的地に定めたとは限らないだろう。土石なだれは谷を越えて南から直線的に襲ってきた。観音堂がある10mの高台が自分の命を助けてくれると当時の村人が判断できたとは思えない。正体不明の恐怖から逃れるために、ただ観音様のお側に寄ろうとしただけではなかろうか。

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空から見た現在の鎌原村。観音堂は画面右下にある。

異変を感じてすぐ避難行動に移った、つまり三陸地方で津波から逃れるすべとして伝わるてんでんこした17家それぞれの構成員の生死とその後を以下に書く。
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毎日新聞アンケートへの私の回答を公開します。

毎日新聞記事(10月18日)のアンケートは私のところにも来ました。9月3日に送信した回答を下に転記します。

アンケートに答えます。

(1)昨年の御嶽山噴火災害は、そもそも避けられなかった。秋の好天の土曜日の正午前。最悪のタイミングだった。もし夜間に噴火したなら死者はひとりも出なかっただろう。

(2)適切ではありません。いまの噴火警戒レベルシステムは、災害対策基本法60条・63条に抵触しています。立入禁止や避難は、地元市町村長の専権事項です。

(3)火山住民の命を守るだけを掲げて、彼らの生活を蹂躙しています。気象庁は、彼らの生活を保障する必要があります。

(4)噴火警戒レベルの上げ下げに外部の火山研究者が関わっていません。噴火予知連でさえ、レベルの検討をしないと聞いています。レベルは気象庁内部だけで決めていると承知しています。

(5)早期警戒態勢が何を意味するかわかりませんが、いま決定的に足りないのは、噴火を見てすみやかに解釈する能力とシステムです。火砕流と見ても火砕流と判断できない、噴火だが噴火とは言わないと公言する、などの学力から見識に渡る大幅な知的改善が必要です。いま目の前で起こっている事象を的確に判断してすみやかに広報することが必要。火山噴火は、数分で終わる地震と違って、何日も、ときには何年もかけて推移していくのだから。火山監視はたいがいにしておいてよい。確定的は予知はできないのですから。

早川由紀夫(2015)インターネットを利用した御嶽山2014年噴火の迅速把握と情報伝達。月刊地理、60(5)、14-23。
http://www.hayakawayukio.jp/publication/paper/60-5-hayakawa.pdf

(6)回答しません。

(7)変わっていません。噴火が報告される火山は増えていますが、それは4年前の大地震以降、火山に注目が集まっている効果が大きい。マグマ噴出量で測ると、増えていません。前と同じです。
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-700.html

(8)確定的予知はできません。

(9)原理的に不可能だと思います。

(10)噴火警戒レベルをやめるべきです。避難などのリスク管理に踏み込んでいなかった以前の火山活動度レベルに戻すべきです。

(11)火山のこと、もっと勉強してくださいね。これから秋の紅葉が美しい季節です。火山にでかけてその美しさを自分の目で見て、きれいな高原の空気を吸って火山を好きになれば、火山のことをいいかげんに書いてはいけないと自戒してもらえるでしょう。

火山れき落下モデルの修正



地獄谷から出た火砕流は、谷底を下っただけでなく剣ヶ峰にも向かったのだから、火砕流の上の噴煙は、火口からちょっとだけ下を中心にして、火砕流全域から立ち昇らせないといけない。ピンクで修正。

× 火砕流から(浮力で)上昇した噴煙が、火砕流から火山れきを連れ去って空高く上がった。(本文テキストにはこう書いてなかったが、図はそう見えた。)
○ 火砕流と同時に火口から上方向に飛び出した火山れきが、火砕流から(浮力で)上昇する噴煙に取り込まれて空高く上がった。

火口から飛び出した初速だけであれほどの数の火山れきが剣ヶ峰に降り注ぐのは無理だ。火砕流から(浮力で)立ち昇った噴煙が火山れきを高空まで引き上げたからこそ、あれだけの数のあれほどの大きさの火山れきが高速で剣ヶ峰に降り注いだ。前回のこの指摘は変わらない。

御嶽山2014年9月27日噴火で生産された
・火山岩塊は、ほとんどが地獄谷の中に留まった。1%が谷の外に弾道軌道を描いた。
・火山れきは、半分が火砕流の中に取り込まれ、半分が浮力噴煙で高空に達した。
・火山灰は、半分が火砕流となり、半分が噴煙上昇したあと風に流され広域に降った。

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