早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

明るく楽しい勉強会

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まとめのまとめ(kyakkyauhuhuhuさん)
・放射能汚染地図、浅間山のクリアファイル・地質図は、きつねの雑貨屋さんから購入できます。

2016年予定
・2月14日 「十和田湖の噴火と片貝家ノ下遺跡」 @大館市
・5月3-5日、鬼押出しハイキング、草津温泉
・8月12-14日(予定)、鬼押出しハイキング、@北軽井沢のキャンプ場スウィートグラス
・8月22-24日 教員免許更新講習@草津温泉

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2015年の火山噴火

▼阿蘇
9月14日0946 8万トン、火砕流1.3キロ
▼箱根山
6月29日1230から翌日まで、100トン、水蒸気性の灰噴火、1.2キロの早雲山駅に10g/m2、4キロまで。
▼浅間山
6月19日17時、10トン、灰噴火、黒斑山カメラレンズに火山灰付着。
6月16日09時、400トン、灰噴火、鎌原観音堂に積灰、13キロまで。
▼口永良部島
6月18日1217、5万トン、ブルカノ式、9キロ東の海上に3センチの火山れき、屋久島一湊に降灰。
5月29日0959、24万トン、ブルカノ式熱雲、海まで。
2014年8月3日 1万トン、ブルカノ式熱雲。
▼御嶽山
2014年9月27日1153、50万トン、ブルカノ式熱雲、63人死亡。

2000年噴火データベース

鎌原村てんでんこ

天明三年七月八日、浅間山噴火によって鎌原村は土石なだれにすっかり埋まった。村人の8割を超える477人が死亡して、観音堂の階段を駆け上がった93人だけが助かったとされるが、実際には93人全員が観音堂に駆け上がって助かったのではなく、村の外に出かけていたために命を落とさずにすんだ人もいたようだ。

家長との続柄を記した家単位の死亡者名簿はすでに活字になっているが、今回、鎌原村で月に2回おこなわれている回り念仏で正面に飾られている掛け軸に、死亡者の続柄だけでなく年齢も書いてあることに気づいた。年齢がわかったことによって家族構成がはっきりして、その日その時刻に鎌原村でみられただろう避難行動を具体的に想像できるようになった。

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鎌原村死者477人の年齢入り掛け軸(部分)

生存者名簿は、飢人夫食拝借小前割帳が活字になっている(ここでは、児玉ほか1989東大出版会10-12を利用した)。ただし家代表の名前しかわからない。代表以外の名前と年齢と続柄はわからない。代表の年齢もわからない。

被災当日、鎌原村には96家があった。70家は全滅したが、17家で2人以上が助かった。なんらかの緊急避難行動を取ったのだろう。三陸海岸に伝わる津波てんでんこと同じことが実行に移されたとみられる。17家のうち3家で全員が助かったが、残りの14家では死亡者が出た。なお単独生存者9人は被災時に村を離れていたために助かったとみなして、ここでは考察しない。

爆発があった柳井沼から鎌原村まで 8 km。村人は大きな爆発音を聞いたはずだ。土石なだれがこの区間を 120 km/hで走ったとすると、村民に与えられた猶予時間は4分。近づく土石なだれが鎌原村の大地をしだいに大きく震わせた。前夜、浅間山の上に高く昇った噴煙から無数の火石が飛び散るのを見たばかりだった村人は、その正体はわからないながら、あるいは正体がわからないからこそ、文字通り命にかかわる恐怖を感じたことだろう。

大部分の村人は異変を感じても避難行動に移らなかった。そして一家全滅した。少数の村人が異変を感じてすぐ避難行動に移った。その多くは観音堂を目指した。ただし、高所にあるからの理由で観音堂を目的地に定めたとは限らないだろう。土石なだれは谷を越えて南から直線的に襲ってきた。観音堂がある10mの高台が自分の命を助けてくれると当時の村人が判断できたとは思えない。正体不明の恐怖から逃れるために、ただ観音様のお側に寄ろうとしただけではなかろうか。

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空から見た現在の鎌原村。観音堂は画面右下にある。

異変を感じてすぐ避難行動に移った、つまり三陸地方で津波から逃れるすべとして伝わるてんでんこした17家それぞれの構成員の生死とその後を以下に書く。
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毎日新聞アンケートへの私の回答を公開します。

毎日新聞記事(10月18日)のアンケートは私のところにも来ました。9月3日に送信した回答を下に転記します。

アンケートに答えます。

(1)昨年の御嶽山噴火災害は、そもそも避けられなかった。秋の好天の土曜日の正午前。最悪のタイミングだった。もし夜間に噴火したなら死者はひとりも出なかっただろう。

(2)適切ではありません。いまの噴火警戒レベルシステムは、災害対策基本法60条・63条に抵触しています。立入禁止や避難は、地元市町村長の専権事項です。

(3)火山住民の命を守るだけを掲げて、彼らの生活を蹂躙しています。気象庁は、彼らの生活を保障する必要があります。

(4)噴火警戒レベルの上げ下げに外部の火山研究者が関わっていません。噴火予知連でさえ、レベルの検討をしないと聞いています。レベルは気象庁内部だけで決めていると承知しています。

(5)早期警戒態勢が何を意味するかわかりませんが、いま決定的に足りないのは、噴火を見てすみやかに解釈する能力とシステムです。火砕流と見ても火砕流と判断できない、噴火だが噴火とは言わないと公言する、などの学力から見識に渡る大幅な知的改善が必要です。いま目の前で起こっている事象を的確に判断してすみやかに広報することが必要。火山噴火は、数分で終わる地震と違って、何日も、ときには何年もかけて推移していくのだから。火山監視はたいがいにしておいてよい。確定的は予知はできないのですから。

早川由紀夫(2015)インターネットを利用した御嶽山2014年噴火の迅速把握と情報伝達。月刊地理、60(5)、14-23。
http://www.hayakawayukio.jp/publication/paper/60-5-hayakawa.pdf

(6)回答しません。

(7)変わっていません。噴火が報告される火山は増えていますが、それは4年前の大地震以降、火山に注目が集まっている効果が大きい。マグマ噴出量で測ると、増えていません。前と同じです。
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-700.html

(8)確定的予知はできません。

(9)原理的に不可能だと思います。

(10)噴火警戒レベルをやめるべきです。避難などのリスク管理に踏み込んでいなかった以前の火山活動度レベルに戻すべきです。

(11)火山のこと、もっと勉強してくださいね。これから秋の紅葉が美しい季節です。火山にでかけてその美しさを自分の目で見て、きれいな高原の空気を吸って火山を好きになれば、火山のことをいいかげんに書いてはいけないと自戒してもらえるでしょう。

火山れき落下モデルの修正



地獄谷から出た火砕流は、谷底を下っただけでなく剣ヶ峰にも向かったのだから、火砕流の上の噴煙は、火口からちょっとだけ下を中心にして、火砕流全域から立ち昇らせないといけない。ピンクで修正。

× 火砕流から(浮力で)上昇した噴煙が、火砕流から火山れきを連れ去って空高く上がった。(本文テキストにはこう書いてなかったが、図はそう見えた。)
○ 火砕流と同時に火口から上方向に飛び出した火山れきが、火砕流から(浮力で)上昇する噴煙に取り込まれて空高く上がった。

火口から飛び出した初速だけであれほどの数の火山れきが剣ヶ峰に降り注ぐのは無理だ。火砕流から(浮力で)立ち昇った噴煙が火山れきを高空まで引き上げたからこそ、あれだけの数のあれほどの大きさの火山れきが高速で剣ヶ峰に降り注いだ。前回のこの指摘は変わらない。

御嶽山2014年9月27日噴火で生産された
・火山岩塊は、ほとんどが地獄谷の中に留まった。1%が谷の外に弾道軌道を描いた。
・火山れきは、半分が火砕流の中に取り込まれ、半分が浮力噴煙で高空に達した。
・火山灰は、半分が火砕流となり、半分が噴煙上昇したあと風に流され広域に降った。

新聞各社の御嶽山噴火加害要因イメージ

日本の軽石噴火・火砕流噴火・溶岩噴火



M5噴火が何百年もないのはよくあること。ふつうだ。M5噴火が連発した17世紀の北海道が特異。14世紀と16世紀と19世紀には、M4噴火がひとつもなかった。北海道駒ヶ岳1929年噴火以降、M4噴火がないが、まあよくあることだ。



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十和田湖915年毛馬内火砕流が図抜けて大きい。次が浅間山1108年追分火砕流。



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桜島1914年溶岩は特筆すべき噴出量だった。雲仙岳1990年溶岩や西之島2013年溶岩は、ふつうに大きい。

・上の3グラフを見るときには注意してください。下のほうに集中した点は、噴火レコードの収拾に人為効果が大きく関与した結果です。点密度が最近増えているのは、火山噴火が頻発していることを意味していません。最近の噴火が登録されやすいからのみかけです。上のほうの点の位置と間隔を見てください。これは、火山を、自然を、見ています。

・データは日本の2000年噴火データベースから。

御嶽山の噴火雨、12時10分頃


2015年9月27日19時NHKニュースからキャプチャした。

火山れきが落ちてつくったクレーターの窪みの中に水がたまっている。二ノ池本館の小寺祐介支配人が、噴火のときに激しい雷雨があった証言している(スポーツ報知2015年9月26日)。

噴石が屋根に「ガンガン」当たり、目の前の池に落ちては、大きな水柱が上がった。トイレから「ドーン」と音がして、重さ7キロの石が屋根を突き破った。十数分後、外は灰に覆われ暗闇に。激しい雷雨が降り始めた。


噴火開始は11時53分、その十数分後だというから、激しい豪雨が降り始めたのは12時10分頃だったろう。火山灰を含む泥雨だったろう。高い噴煙が上がると局所的に短時間、強い雨が降るのはよくあることだ。私は噴火雨と呼ぶ。

剣ヶ峰の火山灰は火砕流によるものだから11時56分頃に堆積した。11時58分頃に落下した無数の火山れきがその表面に衝突クレーターをつくった。12時10分頃、雨が降ってその窪みに水溜りをつくった。

火砕流は二ノ池本館まで届いていない。そこには泥雨として降った火山灰が降り積もっているだろう。剣ヶ峰の火山灰とは違う堆積構造が見られるはずだ。

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赤いリュックの女性の証言

生還女性が初めて語る“あの時” 「焼け死ぬのか、溶けるのかな」
産経新聞 2015.9.27 06:00

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山頂付近で石造りの台座に寄りかかり救助を待つ女性。右手を小さく震わせ、助けを求めた=2014年9月28日午前11時31分、御嶽山(本社チャーターヘリから、大山文兄撮影)


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