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早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

2018年に追加被ばく1ミリを受ける地域



2018年の1年間に追加被ばく1ミリシーベルトを受ける地域。芝生の上で測った私の地図で2マイクロ毎時の領域に相当する。いまは半減期によって減衰して、3分の1の0.7マイクロ毎時になってる。もし都市部で、除染した環境で生活するなら、年間追加被ばくはこの赤領域の中でも1ミリに達しない。

空間線量率という言葉には、科学的取り扱いには耐えないあいまいがある。わざとあいまいにしている政治的意図つまりはリスク管理の領域の言葉だと私は認識している。もし科学によるリスク評価を行いたいなら、どんな条件下で測った線量率かを明記する必要がある。私は芝生の上1メートルを基準にしてる。

わたしの芝生の上1メートルの値は、文科省が発表した航空機モニタリングの値とほぼ等しいことを確かめてある。モニタリングポストの値とは大きく乖離する。モニタリングポストの値はおおむね半分に報告される。施設設置のために除染してしまう効果が大きい。モニタリングポストやリアルタイム線量計は、7年前の汚染を測っているのではなくて、これから起こるだろう新しい汚染を迅速にキャッチする目的で設置されているのだと理解している。

飯舘村役場付近の2018年追加被ばく見込みは3ミリシーベルト。ここまでが(科学による)リスク評価だ。3ミリでも帰るか、3ミリだから帰らないか。それはリスク管理の領域だ。科学だけでは判断できない。

ガラスバッジが示す実効線量は芝生実測値の5分の1(2013年9月10日)
追加被ばくマップ(2014年10月6日)

ふくしま放射能汚染の誤解

誤解1 (チェルノブイリとの比較)

× ふくしまの放射能汚染はチェルノブイリほどひどくない。ふくしまは、チェルノブイリとは違う。
◯ ふくしまの放射能汚染はチェルノブイリと同じだけひどい。ふくしまはチェルノブイリと違わない。

ふくしま原発事故で出た放射性物質はチェルノブイリの10分の1だが、人口密度が10倍なので集団被ばく線量は同じになる(2016年12月7日エントリ)。したがって、放射能による人体への健康被害の出現率は同じになるはず。日本に伝えられているチェルノブイリの健康被害は再評価が必要。

誤解2 (放射性物質の放出時間)

× 3月12日と14日にあった2回の水素爆発で放射性物質が出た。
× 放射性物質は、事故後3月末までの2週のあいだずっと出続けた。
◯ 放射性物質は、東電がベント操作するたびに出た。1回の放出時間は30分程度だった。

放射性物質がずっと出続けたわけではなかったのが最もわかりやすい観察事実は、汚染軸が原発を通らないことだ。短い放出時間内に風向きが大きく変化したことを反映して南に4キロずれている(2013年10月15日エントリ)。2週間ずっと出続けたとして計算したSPEEDIの結果は、実際の汚染分布と大きく違う(2013年10月26日エントリ)。

誤解3 (浪江町津島)

× 津島に避難した浪江町民は放射能にひどく汚染された。
◯ 津島に避難した浪江町民は、3月15日に濃い放射能霧がやってくる直前に二本松市に再避難した。

詳細事情は、2017年8月2日ツイートまとめ「津島に避難した浪江町民が大量被ばくしたの誤解が6年間なぜ放置されたままなのか」をお読みください。

誤解4 (甲状腺がん)

× 福島県の子供にみつかった甲状腺がんは原発事故で被ばくしたからできた。
◯ 福島県の子供にみつかった甲状腺がんは、検査によって無理にみつけたものだ。被ばくする前からあった。

福島県の甲状腺検査は、「事故の影響として甲状腺がんが増加したかしなかったかを疫学的に検証し、県民そして国内外に示す必要がある」から実施されている。(2015年3月25日エントリ)。つまり、子供たちの健康を守るためではなく、学術的興味関心を満たすために実施されている。そして大勢の子供たちの身体を傷つけている。倫理的にはとうてい許されないことが、原発事故後の非常時を理由に、いま福島県で進行している。

誤解5 (年1ミリシーベルト)


× 毎時0.23マイクロシーベルトが年1ミリシーベルト追加にあたる。
◯ 毎時0.76マイクロシーベルトが年1ミリシーベルト追加にあたる。

環境省が2011年10月10日に、毎時0.23マイクロシーベルトが年1ミリシーベルト追加にあたると文書発表したが、これは過大だった。じっさいには0.76マイクロシーベルトがそれにあたる(2013年10月6日エントリ)。

定常放出を仮定したSPEEDIによる積算線量図

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SPEEDI 3月12日から24日まで(左)、3月15日(中)、3月15日2時間ごと(右)

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実測

SPEEDIによる積算線量は、一見すると実測と似てるけど、よく見るとぜんぜん合ってない。定常放出を仮定してるからだろう。実際の放出は特定時刻(1回30分くらい)に集中した。3月15日11時に原発を出発して、いったん南に4キロ流されてから北西に突き進んで福島市まで到達した放射能霧が、SPEEDIにはまったく表現されてない。

1回の放出時間は30分くらいだった。

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南相馬市の海岸部から山間部に向かうと、放射線量率が顕著に上昇する。地図に表現すると、北西方向に等値線が密に平行する。

3月15日11時に出発した放射能霧は、いったん南に流されたあと、向きを変えて北西方向に進んだ。汚染の帯の延長が原発を通らない。18時に出発した放射能霧は、原発からまっすぐ北西方向に進んで、11時の放射能霧がつくった汚染帯のすぐ北側に平行して細い汚染帯を残した。

原発近傍につくられた高汚染領域がはっきりした帯をなすことは、放射性物質の放出が特定の短時間に行われたことを強く示唆している。もし放出が何時間も連続的に行われたのなら、南に4 kmずれた汚染の帯を11時の放射能霧がつくることはなかったであろう。原発をまっすぐ貫いたはずだ。1回の放出時間はおそらく30分程度だったと思われる。

工場の煙突から出るプルーム(plume)を形成するような何日も何週間も続く単調な連続放出だったのなら、その間に風向きが四方八方に変わったから、放出源を中心とする円に近い等値線群になったはずである。

【“1回の放出時間は30分くらいだった。”の続きを読む】

追加被ばくマップ


赤色:年2.1ミリシーベルトの追加被ばくを受ける地域(事故前の2倍被ばくになる地域)
橙色:年1ミリシーベルトの追加被ばくを受ける地域
2013年9月

▼事故から2年半たってようやく明らかにできた放射能リスク評価。
1)日本人は、実効線量2.1ミリシーベルトを毎年受けてる。これと同じだけの追加被ばくを「いま」するのは、2011年9月を基準とした私の地図の2.0マイクロ線の上だ。福島市も郡山市も、これに該当する領域がないことはないが、狭い。
2)国がいう年1ミリ追加も実効線量だ。芝生の上1メートルで測った毎時0.76マイクロに相当する。24時間365日を乗じた0.1マイクロではない。その領域は福島県外にもはや存在しない。
3)福島中通りの放射能リスクは交通事故リスクの4割、首都圏東部の放射能リスクは交通事故リスクの1割だ。
・このリスク評価を、個人と地域のリスク管理に生かしてください。
【“追加被ばくマップ”の続きを読む】

マップコレクション

mext111111.png 文科省航空機モニタリング、2011年11月11日

20111115213150df9_2013080514220510a.jpg 安成マップ BLrqK28CQAAbyuX.jpg

20120712osenmap.jpg BDCrs4NCIAAbCM6.jpg  おのできたマップ

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放射能地図いろいろ 【“マップコレクション”の続きを読む】

紀要論文の公開査読

紀要に印刷できました。ご協力ありがとうございました。Pdfファイル(18MB) 16ページです。印刷してお読みください。図はカラーです。(2014年4月)

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群馬大学教育学部紀要に来月投稿するための原稿を公開します。
「福島第一原発2011年3月事故による放射能汚染と健康リスク評価」
・Wordファイル(4.6MB)最新版。更新がただちに反映されています。
・Pdfファイル(1.8MB) 9月5日11時保存
査読お願いします。コメント欄に書いてください。

要旨 2011年3月11日に起こった大きな地震と津波のあとしばらくして、大量の放射性物質が福島第一原発から大気中に出た。私はその汚染分布を迅速に把握して地図に表現し、インターネットで即座に公表した。放射性物質は原発から連続的定常的に放出されたのではなかった。3月12日、3月15日、それから3月20-21日に大きな放出イベントがあった。原子炉格納容器の圧力が低下あるいは上昇したときに対応する。順に1号機、2号機、3号機からの放出だった。大気中に出たセシウムは1京1000兆ベクレル(11 PBq)。1986年のチェルノブイリ原発事故で出たセシウムの1/12である。しかし人口密度を考慮すると、被害は両者ほぼ同じかフクシマが3倍深刻である。芝生や森の林床だけでなく、アスファルトの上でも2011年3月に降り積もったセシウムはほとんど移動していない。そういった場所の放射線量率の自然減衰はセシウム134と137の半減期でよく説明できる。この事故で放出されたセシウムに起因するがん死の増加は5300人と見積もられる。今後50年間の福島中通りにおける放射能リスクは交通事故リスクの1/2である。

フクシマ原発2011年3月事故の特徴

(1)原発から大気中に放出された放射性物質は、短軸5キロ程度の楕円形をした霧のひとかたまりとして低空(地表から高さ数十mの区間)をゆっくり(2~6m/s)移動した。工場の煙突から長時間連続して出る煙の形状(プルーム)ではなかった。→詳細

(2)放射性物質の大量放出は、大きく3回あった。どれもあいにく風が内陸に向かっているときだった。東の太平洋上に流れた放射性物質は1割か2割にすぎない。全体の6割が原発近傍の日本列島上に降り注いだ。→詳細

(3)大気中に放出されたセシウム総量は1京2000兆ベクレル。チェルノブイリ原発事故の1/10である。人口密度の違いがあるから、セシウム137に汚染された土地に住んでいた(いる)人の数は、両者ほぼ同じ。セシウム134まで考慮するとフクシマが2倍だ。→詳細

放射能に汚染された日時(改訂)

2012年7月21日に書いた文章(放射能汚染地図七訂版の裏面に掲載)を、その後獲得した知見で改訂します。

放射性物質にどこが汚染されるかを決めたのは風です。噴火によって火山から吐き出された火山灰は上空数kmから十数kmを吹く高空の風で移動しますが、原発から漏れ出した放射性物質は地表近くの風に乗って移動しました。当時の気象データを見ると、上空1km以上の風向きではこの分布を説明できません。放射性物質は高さ数十mの風に乗って地表をなめるように移動したと思われます。目に見えない霧が地表を移動して行ったとみなすと理解しやすいでしょう。等値線が盆地や山肌など地形の起伏を感じ取っているのはそのためです。

まず、2011年3月12日21時に南相馬を通過した放射能霧 (radioactive fog) が仙台湾を越えて、翌13日2時に女川を通過しました。さらに北上を続けて早池峰山を経て盛岡まで達しました。弘前大学の3月16日ルート測定のときに、盛岡がすでに汚染されていたことがわかっています。

15日にもっともひどい汚染が生じました。前日の14日23時に原発を出発した放射能霧は、4時にいわきを通過して、6時には関東平野に達しました。しかし予報されたにもかかわらずそこでは雨が降らなかったため、そのまま西と北に向かって24時間後に関東山地と群馬栃木北部の山々に突き当たりました。そこで初めて雨に出会って放射性物質が地表にたたき落とされました。那須高原と福島中通り南部もこのとき汚染されました。放射能霧の移動速度は 4m/s(時速14キロ)。24時間かけて340キロを移動しました。

福島中通り北部が汚染されたのもこの日でした。お昼前の11時に出発した放射能霧は、18時ころ飯舘・福島・二本松に達しました。阿武隈山地を越えて福島盆地に入り込んだこの放射性物質は雪といっしょに地表に降り積もりました。その移動速度は 2m/s(時速7キロ)でした。原発から出たばかりの11時は、北風だったのでいったん南に流されましたが、すぐ風向きが変わって北西方向に突き進みました。汚染の帯が原発を通らないのは、このためです。 【“放射能に汚染された日時(改訂)”の続きを読む】

早わかり放射能汚染地図 ~早川マップガイド~

 
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自由に印刷してお使いください。たくさん印刷してお友達にあげてください。
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両面印刷pdfファイル(36MB)
印刷のしかた(0.6MB)
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きれいに印刷しました。下記ショップで販売しています。1部100円です。(2013.5.19)
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ウェブショップ910(郵便局、クレジットカード)西田さん
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