裁判で原告は、噴火する前に御嶽山の噴火警戒レベルを2に上げなかった過失が気象庁にあったと主張しているが、被告である気象庁はそれを否定している。あの噴火は予知できなかったということらしい。
訴えられたとき気象庁が原告の主張を受け入れて、みずからに過失があったと素直に認めていれば、御嶽山2014年9月27日に限り予知に失敗したことになって、気象庁が法律を改正して2007年12月から始めた噴火警戒レベルと噴火警報は合理的に存続できた。少なくとも2018年1月23日の本白根山噴火までは。
年内に出るだろう判決で、もし気象庁の言うとおりに過失はなかったことになって原告が敗訴すれば、気象庁はかえって窮地に追い込まれる。噴火予知ができないことが明らかになり、噴火警戒レベルに基づいた噴火警報に根拠がなくなるからだ。
もし原告が勝訴すれば、国家賠償して、気象庁の上層部に若干の手入れをするだけで噴火警戒レベルと噴火警報が継続できてしまう。気象庁にとっては、むしろこうなったほうが利益が大きい。この裁判はねじれている。
第三者としての私は、この裁判が原告敗訴ですみやかに結審することを望む。噴火予知はできません。できなくても仕方ありません。誰にも責任ないです、の司法判断を受け取って、噴火警戒レベルと噴火警報を撤廃する道に早く進みたい。
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御嶽山の2014年9月27日噴火で、山頂付近にいた登山者63人が死亡した。噴火警報を出して噴火警戒レベルを2に上げなかった気象庁に過失があったかどうかを争う裁判が、いま長野地裁松本支部で進行中である。裁判では、過失がいつどこにあったかを特定することが焦点となる。
噴火の2週間前、1日の地震数が50回を超えた日が2日続いた。そのとき気象庁がレベル2に上げるべきだったが原告の主張だ。レベル2に上げるためには噴火警報が必要となる。気象庁には噴火警戒レベルの判定基準が各火山についてあって、御嶽山の場合はレベル2に上げる基準のひとつに、1日の地震回数が50回を超えたとき、がある。被告である気象庁は、他の条件も加味した総合判断によってレベル2に上げるのを見合わせたことに過失はなかったと弁明している。
1日の地震が50回を超えたときレベル2に上げなかったことを気象庁の過失とみなすことがはたしてできるだろうか。私の考えは否定的だ。気象庁のような官庁で噴火警戒レベルを上げ下げするには上司の決済が必要となる。この案件の決済権は火山課長にあったとみられる。内規で定めた判定基準を満たしても、火山課長が総合的に判断してその日レベル2に上げなかったことに過失があったとまでは言えない。そこでは正当な行政がなされたとみる。
では、気象庁に過失はなかったのだろうか。いや、あった。気象業務法13条は、一般の利用に適合する噴火警報を出すことを気象庁に課している。結果的に死者63人を出したのだから、その前に噴火警報を出さなかった不作為が一般の利用に適合していたとはとうてい言えない。
少なくとも前日の26日までにレベル2に上げて、現場への立ち入りを禁じるよう地元市町村を促す責務が気象庁にはあった。気象庁の過失は、
2014年9月26日までに御嶽山の噴火警戒レベルを2に上げなかった不作為にある。結果的に63人が死亡したからこそ、気象庁に過失がある。
どんなに密に観測しようとも、現在の火山学では噴火警報を一般の利用に適合するようには出せない。だから、2週間前に立てた予想が外れたからといって、そこに過失があったとは言えない。しかし法律は、それを出せと気象庁に課している。できないことを気象庁に課しているいまの法律が不適切なのである。いかに不適切な法律であろうとも、司法はそれに即した判断を下すことになっている。
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空から見た御嶽山頂。狭い。小屋の向こう側に行って地獄谷を望むことが、ロープに阻まれてできない。まるで、見せたくないものを隠しているかのようだ。登山者は、4年前に63人も殺した噴火口の縁に自分が立っている事実を知らない。そのときも、いまも、噴火警戒レベルは1だ。

南東から見た御嶽山頂。石段の下にコンクリート製のシェルターが3基置かれている。山頂の建物の屋根は補強されているが、それ以外の建物には4年前の噴火の傷跡がまだ残る。

山頂へ登る石造りの立派な階段の脇に、4年前の粘土の厚い断面が露出している。火山れきを含む。成層してないので悠長に降り積もったのではなく、横殴りの火砕流の堆積物だといってよい。火山れきに当たった階段の一箇所が欠けていて、手すりはボコボコ。
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白子隆志(2016)御嶽山噴火による噴石外傷の経験。日本救急医学会雑誌、27(12)、770-775
要旨 2014年9月27日午前11時52分に御嶽山が噴火し,山頂付近にいた多くの登山者が被災した。岐阜県側の山頂山小屋に負傷者を含む26名の登山者が避難したため,翌朝DMATと山岳救助隊が傷病者救出活動を実施した。被災者のうち,重症者1名,中等症者2名をヘリ搬送し当院に収容した。症例1:39歳女性。左鎖骨・肋骨・肩甲骨開放骨折を受傷しており,全身麻酔下にデブリドマンを施行した。症例2:52歳男性。左上腕骨開放骨折を受傷しており,洗浄・固定術を施行した。症例3:46歳男性。左体幹部に広範な打撲による皮下血腫,腫脹と高CK血症を認めた。3例とも高速飛来物に起因する鈍的外傷および穿通損傷であり,損傷形態は二次あるいは四次爆傷と考えられた。比較的まれな火山噴火による噴石外傷を経験したので報告する。
この噴火による死者63人ほとんどの死因が、大きな噴石に当たったのではなく小さな噴石(火山れき)に当たったことによると、これら症例も強く示唆する。
以下は外傷写真。閲覧注意。
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秋晴れの松本で10月10日に開かれた第四回口頭弁論を傍聴しました。御嶽山2014年9月27日噴火で死亡した登山者の親族のみなさまにお悔やみ申し上げます。負傷したみなさまの一日も早い快復をお祈りします。
強い無念の気持ちがこの裁判を起こさせたのだと想像します。あのとき何が起きたのか、なぜ死傷することになったか、を知りたいのは当然です。それを裁判によって明らかにしたいと行動に移したことに敬意を表します。
火山学者として私は、まずみなさまにお伝えしたいことがあります。それは、58人死亡と5人行方不明の原因です。火口から飛び出したひと抱えもあるような大岩に当たって打ち砕かれたとする報道がありますが、この理解は正しくありません。死者の多くは高空から猛スピードで落下してきた直径5~10センチ程度の小石に当たって命を落としました(
論文1)。負傷者が当たった小石と同じです。少数例として、火砕流に襲われて火傷したり窒息したひともいたようです。親族の最期がどうだったかを正確に知っておくことは大切だろうと思って申し上げました。
さて裁判では、2週間前に地震が日50回を超えたのに気象庁が噴火警戒レベルを2に引き上げなかったことと、壊れたままの地震計を長野県が放置したことを指摘していらっしゃいました。これらのどちらも、相手方の責任を追求するのはむずかしいだろうと私は思います。
たしかに気象庁には、御嶽山の地震が日50回を超えたらレベル2にする内規があったようです。しかし、それに従ってレベル2に上げるか上げないかは、気象庁長官の考え次第です。裁量のうちです。他のデータや諸事情を勘案してレベル2に上げなくても、そこに不作為を問うことはできないだろうと思います。
長野県には火山噴火を監視する義務がありません。ですから、設置した地震計が正常に動いていなかったことを責めるのはお門違いのように感じます。聞くところによると、火山砂防事業による地震計だったようです。であるなら、谷中を流れる土石流(や火砕流)の震動を捉えることが目的であって、噴火を予知するために設置したものではなさそうです。9月27日噴火では火砕流が発生しましたが、あの火砕流が地面を叩いて起こす震動は噴出時の震動に埋没して検知できなかっただろうと思います。
責任を問うのであれば、その相手はこの国の唯一の火山監視機関である気象庁です。気象庁は2007年12月に気象業務法13条を改正して、一般の利用に適合する噴火警報を出すことにしました(
論文2)。しかし、2014年9月27日の御嶽山噴火の前に噴火警報は出ませんでした。出ないまま、58人が死亡して5人が行方不明になりました。そして多数が負傷しました。
一般の利用にまったく適合していません。ここを指摘するのが、いま日本の火山防災のためにとても重要だと私は考えます。
なお噴火警報を出すことは噴火警戒レベルを2に上げることを意味します。結果的には同じことですが、レベル2ではなく噴火警報を争点として掲げると法律条文との対応が明確になります。
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地獄谷から出た火砕流は、谷底を下っただけでなく剣ヶ峰にも向かったのだから、火砕流の上の噴煙は、火口からちょっとだけ下を中心にして、火砕流全域から立ち昇らせないといけない。ピンクで修正。
× 火砕流から(浮力で)上昇した噴煙が、火砕流から火山れきを連れ去って空高く上がった。(本文テキストにはこう書いてなかったが、図はそう見えた。)
○ 火砕流と同時に火口から上方向に飛び出した火山れきが、火砕流から(浮力で)上昇する噴煙に取り込まれて空高く上がった。
火口から飛び出した初速だけであれほどの数の火山れきが剣ヶ峰に降り注ぐのは無理だ。火砕流から(浮力で)立ち昇った噴煙が火山れきを高空まで引き上げたからこそ、あれだけの数のあれほどの大きさの火山れきが高速で剣ヶ峰に降り注いだ。前回のこの指摘は変わらない。
御嶽山2014年9月27日噴火で生産された
・火山岩塊は、ほとんどが地獄谷の中に留まった。1%が谷の外に弾道軌道を描いた。
・火山れきは、半分が火砕流の中に取り込まれ、半分が浮力噴煙で高空に達した。
・火山灰は、半分が火砕流となり、半分が噴煙上昇したあと風に流され広域に降った。

2015年9月27日19時NHKニュースからキャプチャした。
火山れきが落ちてつくったクレーターの窪みの中に水がたまっている。二ノ池本館の小寺祐介支配人が、噴火のときに激しい雷雨があった証言している(
スポーツ報知2015年9月26日)。
噴石が屋根に「ガンガン」当たり、目の前の池に落ちては、大きな水柱が上がった。トイレから「ドーン」と音がして、重さ7キロの石が屋根を突き破った。十数分後、外は灰に覆われ暗闇に。激しい雷雨が降り始めた。
噴火開始は11時53分、その十数分後だというから、激しい豪雨が降り始めたのは12時10分頃だったろう。火山灰を含む泥雨だったろう。高い噴煙が上がると局所的に短時間、強い雨が降るのはよくあることだ。私は噴火雨と呼ぶ。
剣ヶ峰の火山灰は火砕流によるものだから11時56分頃に堆積した。11時58分頃に落下した無数の火山れきがその表面に衝突クレーターをつくった。12時10分頃、雨が降ってその窪みに水溜りをつくった。
火砕流は二ノ池本館まで届いていない。そこには泥雨として降った火山灰が降り積もっているだろう。剣ヶ峰の火山灰とは違う堆積構造が見られるはずだ。
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生還女性が初めて語る“あの時” 「焼け死ぬのか、溶けるのかな」
産経新聞 2015.9.27 06:00

山頂付近で石造りの台座に寄りかかり救助を待つ女性。右手を小さく震わせ、助けを求めた=2014年9月28日午前11時31分、御嶽山(本社チャーターヘリから、大山文兄撮影)
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