浅間山麓にお住まいのうちぼりさんから今朝の火映写真がとどきました。2004年の火映と比べるとまだ弱いですが、満天の星を背にしたこの赤色はあのときの記憶をまざまざと思い起こさせます。きょうから秋の空気に入れ替わりました。前橋でも、きのうまでの南風が北風になりました。私も機材を持って撮影に行きましょうかしらん。

浅間山の火映。2008年9月8日00時18分。うちぼりさん撮影。
きょう2008年8月29日は、平安時代の浅間山噴火からちょうど900年目の日です。
1108年8月29日、前橋にあった国庁の庭に火山灰が厚く降り積もりました。そのため上野国の田畑の多くが使用不能になりました。権中納言藤原宗忠の日記『中右記』に次のようにあることから、浅間山の大噴火がこの日に始まったことがわかります。
近日上野國司進解状云,国中有高山,稱麻間峯,而從治暦間(1065-1069)峯中細煙出來.其後微々成,從今年七月二十一日(1108.8.29)猛火燒山峯,其煙屬天沙礫滿國,【火畏】燼積庭,國内田畠依之已以滅亡,一國之災未有如此事,依希有之怪所記置也.
前橋に降り積もった火山灰を浅間山まで追うと、Bスコリアと呼ばれる黒い軽石に徐々に移り変わります。厚さも増して、軽井沢では1メートルを超えます。
Bスコリアの噴火は、追分火砕流の流出で終わりました。おそらく翌30日だったと思われます。追分火砕流は、軽井沢町追分や嬬恋村大笹に達して厚い堆積物を残しています。
この噴火は、浅間山の過去1万年間のなかで最大の噴火でした。
嬬恋村大笹の集落は、吾妻川に流入した追分火砕流がつくった段丘の上に形成されている。道路は国道144号。この噴火についてもっと詳しく知りたい人は:
史料に書かれた浅間山の噴火と災害風景に書き込まれた歴史を読み解く
軽井沢はもちろん、北軽井沢でも嬬恋でも、日常生活への差し障りはまったくありません。観光もいつもどおりぞんぶんにお楽しみください。
ただし、浅間山頂を目指す登山者だけはご注意ください。浅間山荘から蛇堀川を詰め、火山館で立体模型をながめて楽しむのがよろしいかと思います。そのあと、湯の平を散策してください。火山館のすぐそばの森の中で、2004年9月23日の火山弾とクレーターを観察するのも一興です。場所は、館長にお尋ねください。

森の中のクレーターは2004年9月23日の爆発によるものだという判断は、「23日の爆発のあとで気づいた。23日より前にはなかったと、きのこ取りのひとから聞いた」と火山館長が証言するからです。さらに理学的証拠もあります。クレーターをつくった火山弾が新鮮なマグマ由来の青い岩石と変質した黄色い岩石からなります。9月23日に釜山の上にのった百トン岩もこれと同じ岩石です。
2004年8月から2005年3月まで毎夜の浅間山火映強度と噴火のタイミング。

この表は、火山に2005年に印刷した報告の一部として用意しましたが、削除しろと査読意見がついたために印刷公表できなかったものです。理由は、火映の強弱をこのような形式で表現するのは科学的でないということだったと記憶します。私は、この査読意見にまったく同意できませんでしたが、そのときは報告を火山に印刷したかったので争うことをせず、表の削除を承諾しました。
この記事は、まったくいただけない。どこがどうなのかの論評は後日します。いま論評すると、研究対象に影響を与えてしまうから、しません。きょうは、記事をここに記録しておくだけに留めます。
浅間山:火口周辺警報 別荘所有者から役場に安全確認の電話相次ぐ /群馬
浅間山(2568メートル)に火口周辺警報(噴火警戒レベル2、火口周辺規制)が出された8日、別荘地を抱える嬬恋村や長野原町の役場には、別荘の所有者から安全を確認する電話が相次いだ。間もなくお盆の夏休みシーズンを迎えるだけに、関係町村は観光面への影響を懸念している。
警報を受け、立ち入り禁止となる火口から2キロ以内にあたる嬬恋村は防災無線を流して村民に周知、火口北の遊歩道に立ち入り禁止の看板を掲げた。ただ、2キロ以内に建物はなく住宅地も遠いため、村民に大きな混乱はなかった。
一方、一帯は別荘地が多く、所有者には不安を与えたようだ。同村では午後3時から約30分間、5回線ある役場の電話が鳴りっぱなし。北軽井沢を抱える長野原町役場にも数十件の電話が寄せられた。同町総務課は「現在のところ別荘地への影響はないが、小規模噴火の可能性は否定できない。これで旅行を取りやめる人も予想され、影響は非常に大きい」と苦りきっている。【伊澤拓也】
毎日新聞 2008年8月9日 地方版
2008年8月8日15時の気象庁噴火警報(これは多分に災害対策基本法に抵触の疑いあり)の発表を受けた浅間山麓市町村の対応をホームページで調べました。
小諸市8月8日更新。賽の河原分岐点までの登山OK。災害対策基本法63条に言及。
御代田町8月8日更新。町自身の防災対応に変化なし。4キロ以内立入禁止。法的根拠不明。
軽井沢町8月8日更新。町自身の防災対応に変化なし。4キロ以内立入禁止。ただし、小浅間山と石尊山は登山OK。法的根拠不明。
長野原町町自身による最新情報伝達は、なし。防災対応も、なし。気象庁ページへの常設リンクのみ。
嬬恋村8月8日更新。ただし、レベル2になった事実のアナウンスと気象庁ページへのリンクのみ。ホームページには村の主体性がひとつもみられないが、現地では溶岩樹型からの登山道入口に2キロ以内立入り禁止の看板を立てたという。
【“気象庁による浅間山レベル2と地元市町村の対応”の続きを読む】
地震保険の基本料率は
損害保険料率算定機構が定めています。したがって、どの保険会社から購入しても同じ価格です。2007年10月に、この
料率の見直しがあって、群馬県は2等地から1等地になりました。保険料が安くなったのです。4等地の東京都とくらべると、1等地の群馬県では約1/3の保険料で同じ補償が得られます。
少し詳しくみてみましょう。木造家屋を考えます。保険金額1000円につき保険期間1年の保険料は、東京都では3.13円ですが、群馬県では1.00円です。つまり群馬県は、東京都と比べると地震に関して3.13倍安全だと日本経済界がみなしていることがわかります。非木造家屋の保険料は木造家屋の半額ですから、群馬県と東京都の比率は変わりません。やはり3.13倍違います。
さて、保険業界は地震と噴火の区別をしません。噴火による損害も地震保険でカバーされます。最近1000年間の日本では噴火災害よりも地震災害のほうがはるかに深刻でしたから、地震保険の基本料率は地震被害だけで決められています。しかし、浅間北麓は地震災害より噴火災害に対してはるかに脆弱です。1783年噴火で壊滅的打撃を受けた地域や、1108年噴火で壊滅的打撃を受けた地域が広く存在します。
再び木造家屋で考えます。群馬県の保険料率は保険金額1000円につき保険期間1年で1.00円です。したがって、
1000年に1回被害を受けるとモトがとれます。1783年は225年前です。1108年は900年前です。こういった地域は、いま地震保険に加入すると十分モトがとれそうにみえます。
地質図で、オレンジまたは黄色に着色されている225年前に被災した地域と、黄緑色に着色されている900年前に被災した地域は地震保険に加入するとお得だと思われます。非木造家屋だと保険料は半額ですから、2000年に1回の被災でモトがとれるわけです。これはかなりお得です。
![geomap640[1]](http://blog-imgs-27.fc2.com/k/i/p/kipuka/20080108204955s.jpg)
浅間北麓に別荘をお持ちのかたは、いますぐ地震保険に加入することを勧めます。地震保険は火災保険のオプションとして加入できると聞いています。
浅間南麓は長野県です。長野県は2等地ですから保険料が群馬県より27%増しになります。900年前の追分火砕流の上に建っている住宅は、それでもお得だと思いますので、地震保険への加入をぜひご検討ください。
噴火警戒レベルを決める基準がわからないと11月30日に書いたが、きょう気象庁のページを見たら、各火山の火山活動度レベル表が噴火警戒レベル表に置き換わっていた。
浅間山について、新旧の記述を比較してみた。新レベル表は旧レベル表にあった誤りと不適当をおおむね修復しているから、全体的にみて前進したと評価できる。ただし、改善すべき部分がまだ残っている。
レベル51783年天明噴火を想定しているのは旧レベル表と変わりない。今回、事例の中に「吾妻泥流」という聞きなれない語が混じった。吾妻川に流入したあとの鎌原土石なだれをこの語で呼ぶ人がいたが、それに習ったのだろうか。二つ前に「吾妻火砕流」を書きながらこの語を表中に含めたのは、混同されて誤解されることを気象庁がまるで望んでいるかのようだ。(追記1)
レベル4旧レベル表では、1950年9月23日の噴火と1973年の噴火が過去の事例として挙げられていたが、新レベル表ではどちらも削除された。レベル5と同じ「天仁天明クラス」噴火の発生が、低い確率で予見される状態をいうことに変更になった。
なお1108年噴火の主要部分は天仁元年ではなく嘉承三年に起こったから、それを天仁噴火と呼ぶのは適切でない。元号を冠するなら嘉承噴火と呼ぶべきだ。(追記2)
レベル3強いブルカノ式爆発を想定している。過去事例として挙げられた「噴石」の到達距離は、2004年9月1日2.7キロ、1973年2月1日約2キロ、1958年11月10日約3キロである。1973年噴火は旧レベル表ではレベル4事例だったが、新レベル表ではレベル3事例に格下げになった。旧レベル4で事例として挙げられた1950年9月23日の8キロは書いてない。これが事例として不適当だったことに気象庁は気づいたようだ。
旧レベル表では 「山頂火口から2〜3km程度以内まで、噴石を飛散」としていたが、新レベル表では「4km以内に噴石」として、危険半径を3キロから4キロに拡大した。これは、歓迎すべき修正である。
レベル2ここで2004年の事例を書くなら、「7月下旬」とではなく日付まで明記して「7月31日」と書くべきだ。7月20日にレベル2からレベル1に下げたが、11日後の7月31日に再びレベル2に引き上げたのだから。
レベル1「2007年12月現在、山頂火口から500m以内規制中」と書くが、これは小諸市の規制内容である。
軽井沢町はこれよりはるかに広い範囲を立ち入り禁止にしている。
注注1)ここでいう噴石とは、主として風の影響を受けずに飛散する大きさのものとする。
不十分な定義だが、1950年9月23日の8キロを事例から削除したのをみると、
気象庁は「噴石」の語を、弾道起動を描いて空中を飛行する火山弾に限ったようだ。そのサイズの下限はおよそ10センチになる。これは、浅間山で明治以来使ってきたもともとの定義に沿った使い方だ。平成の時代に気象庁が一度この定義を変えようとしたが、考え直して明治の定義を使うことにしたと、火山研究史に記録されることになった。用語は、それがきちんと定義されて使われれば解釈可能だから、気象庁の「噴石」はいちおう解釈可能なものになった。しかしこのような誤解にまみれたあいまいな用語は、この場合はとくに生命にかかわることがらだけに、早晩もっとよい用語に置き換えられるべきだ。(追記3)
注2)表中にある火口からの距離はいずれも概ねの数値を意味する。
なんといい加減な発言だろう。距離はきちんと計測できるパラメータだ。そして防災においてもっとも重要なパラメータのひとつだ。責任を回避したい思惑が透けて見えて、悲しい。また、起点を火口中心とするのか火口縁とするのかを明記すべきだ。前者が望ましい。
注4)中噴火とは、山頂火口から概ね4km以内に噴石飛散させる噴火とする(稀に噴石が概ね4kmをこえることがある)。
注5)小噴火とは、山頂火口から概ね2km以内に噴石飛散させる噴火とする。
この定義だと、小噴火は中噴火でもある。気象庁は、もっときちんとした日本語を書くべきだ。(追記4)
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