早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

アイスランド・バルダルブンガ火山の2014年噴火

・噴火した火山はBárðarbunga(Bardarbunga、バルダルブンガ)。バトナ氷河におおわれている。
・噴火地点はHoluhraun(ホルフロイン)。150年前の噴火でできた溶岩原。そのときの噴火割れ目を今回も使っている。
・初回の噴火割れ目の長さは600メートル。そこからの溶岩流出ピークは、8月29日0040-0100にあった。噴火開始は0002。
・2回目の噴火は8月31日0400から始まった。噴火割れ目の長さは2日前より長く、1500メートル。
・8月23日に地震が多発した。氷底噴火したのかもしれない。28日に氷の表面に円弧亀裂が見えた。
ツイッターまとめ

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ライブカメラ画像(2014年9月6日朝)

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(左)アスキャ・カルデラのそばにあるドレキ小屋。2004年の写真だが、いま、ここが火山監視の最前線になっているとみられる。アイスランド警察
(右)危険地帯から緊急脱出するケンブリッジ大学の研究者たち。9月3日に原因不明の火山性微動が観測された。

氷河の下にあるバルダルブンガという火山の地下で1週間ほど前、マグマが北東方向に向かって水平に40キロほど動いた。その先端のホルフロインという場所から8月29日に噴火した。150年前の噴火割れ目を使ってマグマが地表に表れて火のカーテンを噴きあげつつ溶岩を流した。31日にも同じ場所から再び噴火した。
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インドネシア・シナブン火砕流災害 2014年2月


より大きな地図で インドネシア・シナブン火山災害2014年 を表示

・シナブン火山は、世界最大のカルデラ湖であるスマトラ湖の北西にある。
・2014年2月1日11時の火砕流で、山頂か3キロ離れたSuka Meriah村にいたひとのうち14人が死亡した。
・その火砕流は、4.5キロ流れ下った。
・2010年8月27日から9月にかけて歴史時代初めての噴火をして、噴煙を火口から5キロの高さまで上げた。
・2013年9月15日から再び噴火を始め、火砕流を出していたので、住民避難が実施されていた。
・インドネシアでは、2010年10-11月、ムラピ火山の火砕流で322人が死んだ。

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2010年ムラピ、インドネシア

ムラピの噴火災害は甚大なものですが、情報がなかなか手に入りません。忘れてしまわないようにメモします。とくに数字に関しての十分な確認が取れていないこと注意してご利用ください。

10月中旬、ムラピで異常
10月25日、スマトラ島沖で地震(M7.7)、津波で450人死亡。
10月26日、熱雲で31人死亡。「山の番人」マリジャンも含む。
11月04日、15キロまで避難指示、7万人避難。
11月05日未明、熱雲が18キロまで、200人死亡。20キロまで避難指示、20万人避難。
11月08日、29万人避難
11月13日、38万人避難
11月19日、区域縮小、避難は20万人に
11月20日、ジョクジャカルタ空港再開。これまでの死者322人、13万人避難生活継続
12月03日、避難指示解除。3キロ規制。

アイスランドの噴火は穏やかに

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アイスランド南部の火山噴火は、穏やかな様式に変化した。日本時間4月20日13時02分ころの様子。現地ライブカメラ画像

14日から始まった噴火は氷河の下から起こったから、マグマの熱が氷をとかして激しい爆発になった。5日たって火口内に流入する水の量が減って、穏やかにマグマを放出する段階に至った。このまま推移すれば、火山灰を成層圏まで噴き上げた14日のようなことはもう起こらないだろう。

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完全に夜が明けたときの景色。日本時間14時53分。

比較のために14日噴火写真の例
iceland-eyjafjallajokull2010-mf3945[1] Stromboli online

4月20日ツイート

アイスランドの噴火は弱まった

白い噴煙になった。火山灰の放出はほとんど止まった。14日の噴煙は真っ黒だった。そして高かった。4月17日(日本時間)

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http://www.vodafone.is/eldgos

ツイッターでの4月16日発言4月17日発言

マルチニーク島で見た流紋岩の大規模噴火堆積物

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St. Pierreのすぐ南の海岸に、大規模火砕流堆積物に覆われたプリニー式軽石が二枚露出している。両者の間には、厚さ3メートルに達するレスや水流堆積物が挟まれている。それらが示す時間差は数万年程度だと思われた。年代はおよそ10万年前だと思われた。プリニー式軽石は2-3メートルと厚いが、粒の大きさは数センチ。モンプレーから来たにしては粒が細かい。島の南半部から来たのではないか。

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St. PierreからFort-de-Franceに向かう高速道路の途中に露出していた水蒸気マグマ噴火の堆積物。水中堆積のようにみえた。地震によって液状化したために生じた層間異常とタフダイクがあった。

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南部Diamantの街の裏の高台に分布する大規模火砕流堆積物。給源になったはずのカルデラの地形は、Martinique島内にみつけられなかった。

モンプレーの山頂溶岩ドームはいつも雲の中

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(左)モンプレーの山頂(1397メートル)は、1929年溶岩ドームがつくっている。登頂を果たしたあと、1902年溶岩ドームとの鞍部につくられた避難小屋をめざして下った。強風にあおられてガスに巻かれたが、ときおり青空がのぞいた。
(右)海岸は晴れていても、山頂溶岩ドームはいつも雲に隠れている。その湿気のために、まだ100年しかたっていない溶岩ドームだとはとても思えない密な植生に覆われている。

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霧の中、山頂を目指して急坂を登る。

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(左)丘の上に建つモンプレー火山観測所。グスコーブドリ所員がいまにも出てきそうなたたずまいだ。(右)火山観測所から見たモンプレー。山麓を取り巻く扇状地は、雲仙岳や榛名山を思わせる。

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マルチニーク島はラム酒の製造で有名だ。良質のサトウキビと、山から湧き出すおいしい水でつくられる。

マルチニーク島への行き方は、続きをお読みください。

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モンセラ島からの噴煙


マルチニーク島からプエルトリコに向かう航空機から、噴煙をたなびかせるモンセラ島を遠くに見ることができました。スフリエールヒルズ火山が1995年から噴火を始め、熱雲で麓のプリムスの町を壊滅させました。昨年12月にも海まで達する熱雲が出ました。

いまモンセラ島に観光目的で行く人はほとんどいないようです。カリブ海の島々を紹介する英文トラベルガイドが手元にありますが、全788ページのうちモンセラ島には6ページしか割かれていません。マルチニーク島は28ページを占めています。

モンセラ島の壊滅的打撃と雲仙の幸運

モンプレーの溶岩ドームは榛名二ツ岳とよく似ている

西インド諸島マルチニーク島へ9日間行っていました。

2月5日にモンプレーの山頂に立ちました。強風と霧の中の登山でしたが、ときおり青空がみえて、カリブ海まで見渡せました。

溶岩ドームとそれを取り囲む「カルデラ」は、榛名山の二ツ岳とオンマ谷にそっくりでした。二ツ岳にはピークが三つありますが、モンプレー山頂にも三つのピークがあります。北側の二つが1902年溶岩ドーム、南側のひとつが1929年溶岩ドームです。1397メートルの山頂は1929年ドームがつくっています。

セントへレンズも1980年代に溶岩ドームをつくっていったん静かになったあと、2004年10月から再び溶岩ドームをつくりました。二ツ岳も古墳時代の噴火は20~30年の時間を経て二回あったことがわかっています。デイサイトの溶岩ドームをつくる噴火は、25年くらいの時間差で二回連続することがむしろ普通なのかもしれません。

モンプレーの溶岩ドームは、雲仙岳に1991年に新しくできた溶岩ドームともそっくりでした。1902年5月8日のサンピエールの悲劇と同一視されたくないとして広報を控えた当時(1991年5月末)の行政判断の誤りが悔やまれます。まったくの同一物だったのですから。

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(左)モンプレーとサンピエールの町並み。1902年の噴火時に2万8000人が住んでいたサンピエールの人口は、いま5000人だという。政治経済の中心地は、南部のフォートデフランスとラメンティンに移ってしまった。マルチニーク島全体の人口は40万人。伊豆大島よりずっと大きくて都会だ。日本で言えば、淡路島か佐渡島といった感じか。(右)1902年5月8日の熱雲によって、モンプレーに面した石積みの壁はことごとく破壊された。

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この牢獄にいたひとりの男が、大やけどをしながらも、助かったという有名なエピソードがある。実は、靴屋も助かって、生存者は2名だったということになっている。牢獄は、石積みの壁によって熱雲から守られた。

二人のBob Smith

イエローストーン湖の群発地震のニュースでしばしば出てくるUtah大学のBob Smith教授は、Bob "Ashflow" Smithとは別人だそうだ。Bob Smith教授はゼネラルな地球物理学者で、Bob "Ashflow" Smithは故人だという。
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