早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

浜岡原発の運転差し止め請求

静岡地裁が26日、浜岡原発の運転差し止め請求を棄却したという。報道によると、浜岡原発が設計に利用した想定震度には学術的根拠が十分に認められるというのが理由だそうだ。しかし、きわめて専門的なこのような学術判断を非専門家であろう司法人にさせてよいか、疑わしい。

学術の適否は専門家に判断させるべきであり、司法人ができること(すべきこと)は、手続きに不備がなかったかの判断だけだ。

今回の場合は、中部電力が採用した想定震度が、経済産業省原子力安全・保安院が定めた「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」に合致するかどうかが争われたようにみえる。このような高度に学術的な判断を、地震素人であろう司法人ができるとは思えない。手続きの可否については司法の場で争うのが適当だが、想定震度が指針に合致するかどうかの判断は審査機関を(原子力安全・保安院が)新たに設けてそこで審査すべきだ

原告は、裁判では、想定震度の可否を争うのではなく、浜岡原発で事故が起こったときの補償を争うのがよかった。もし事故がおきてからでは遅いというなら、事故が起こるとどのような被害を受けるかをきわめて具体的に示す立証責任があった。そして、事故が起こる確率を添える。これこそ、まさにリスク・コミュニケーションである。

とはいっても、この地裁判決にはそれ以前のレベルの問題もあったようだ。宮岡章裁判長は、「東海地震だけでなく東南海・南海地震と連動した場合にも耐震安全性が確保されており、原告らの生命、身体が侵害される具体的な危険性は認められない」と述べたそうだ(読売新聞)。この裁判長はゼロリスクの存在を信じている。今回の原告は、不運な裁判長に当たってしまったようにみえる。

(原告の請求内容を調べないまま書いていますから、もしかするとこの文章には私の無知による不適切があるかもしれません。)

噴火警報(2)

いま元気な火山だけが深刻な噴火災害を起こすのではない。これは、世界的にもよく知られた事実だ。最近では、1991年にフィリピン・ピナツボ火山で起こった噴火がそうである。インドネシア・タンボラ火山で1815年に起こった史上最大の噴火もそうだった。

1000年以上の長い沈黙を破って被害甚大な噴火をした日本の例
(火山、噴火年、犠牲者)
・磐梯山、1888年、461人
・樽前山、1667年、不明だがおそらく多数
・有珠山、1663年、5人(おそらくもっと多い)
・北海道駒ヶ岳、1640年、700人以上

噴火警報は、むしろ長い眠りから覚めたこのような火山にこそ必要だ。

噴火警報

気象庁が気象業務法を改正して噴火警報を出すと、19時のNHKテレビニュースが伝えた。

噴火警報を出すのは限られた火山だけだという。すべての火山が対象ではないのだという。何も限られた火山だけが噴火するわけではないのだが。噴火警報なしに甚大な被害噴火が起こったとき、気象庁はどう責任を取るつもりか。

噴火警報の中に避難などの防災行動を含めるという。災害対策基本法とのすり合わせは十分なのか。

そもそも火山噴火は、噴火してから避難するのでは遅い。火砕流が発生したから情報を出して住民を避難させるのでは間に合わない。火砕流の発生を予見して住民をあらかじめ避難させておく必要がある。大風や大雨を観測して、その進路に対して情報を出す気象警報とは性格がまったく異なる。この性格の違いを無視して噴火警報を気象警報と同列に扱うようなことは、してはならない。

噴火リスクは本質的にあいまいだ。そしてしばしば莫大な被害をもたらす。これは社会全体が総出で対応すべきことがらだ。このようなリスク対応には費用がかかる。その費用を負担するひと全員がリスク対応に関与すべきだ。ひとり気象庁だけがその任にあたる、あるいは気象庁だけにやらせるような仕組みはつくるべきでない。
 
【“噴火警報”の続きを読む】

バイロンの『暗闇』

Darkness
I had a dream, which was not all a dream.
The bright sun was extinguish’d, and the stars
Did wander darkling in the eternal space,
Rayless, and pathless, and the icy earth
Swung blind and blackening in the moonless air;
Morn came and went – and came, and brought no day, …

Load Byron, June 1816, Lake Geneva


インドネシアのタンボラ火山が噴火した1815年噴火の翌年は、夏がなかった年としてよく知られる。上の詩は、バイロン卿が避暑先のスイスで6月に書いたもの。

大地の承認

文明というものは、予告なしに変化するという条件つきの大地の承認を得て存在している。ウィル・デュラント(1885-1981)

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