赤い溶岩の表面を黒い皮が次々と流れてくる。皮はこの溶岩が大気に露出して冷えて固ま った部分だ。この皮が狭さく部で渋滞して天井をつくると、赤い溶岩は地下を流れること になる。溶岩洞窟はこうしてできる。溶岩洞窟は溶岩を冷却させないで遠くまで運ぶ。玄 武岩火山が大きな山体をつくることができるのは、このしくみによる。
ムラピの噴火災害は甚大なものですが、情報がなかなか手に入りません。忘れてしまわないようにメモします。とくに数字に関しての十分な確認が取れていないこと注意してご利用ください。
10月中旬、ムラピで異常
10月25日、スマトラ島沖で地震(M7.7)、津波で450人死亡。
10月26日、熱雲で31人死亡。「山の番人」マリジャンも含む。
11月04日、15キロまで避難指示、7万人避難。
11月05日未明、熱雲が18キロまで、200人死亡。20キロまで避難指示、20万人避難。
11月08日、29万人避難
11月13日、38万人避難
11月19日、区域縮小、避難は20万人に
11月20日、ジョクジャカルタ空港再開。これまでの死者322人、13万人避難生活継続
12月03日、避難指示解除。3キロ規制。
新たに土地を購入しようとするとき、地盤の良し悪しなどの災害耐性を最優先の判断基準にするひとはほとんどいない。交通・日当たり・眺望・騒音などの環境をより重要視する。めったに起こらない災害リスクよりも、毎日の利便や快適を優先するのは、きっと正しい判断なのだろう。
災害リスクへの対応を後回しにして毎日の利便や快適を優先するのは個人の嗜好・価値観だから、いざ災害が起こったときに損失補償を国など他者に求めるのは理屈に合わない。
いま国民に選択の自由を許していることで、国は自然災害による損失を補償しない根拠を確保している。もし国が選択の自由を一部でも制限したなら、災害が起きたとき国は国民に損失補償しなければならなくなる。
港まで遠い高台から下りて、津波に対して脆弱な海岸に居を移すのは個人の自由だ。地震と水害に脆弱な大都市に住んでファッショナブルな生活を追い求めるのも個人の自由だ。ただし何世代かのうちには必ず自然の猛威によって手ひどい災害を受ける。そのときの結果責任は、国に頼ることなくすべて自分で引き受けてほしい。漁に便利な住居を得た、ファッショナブルな生活を送ったつけをちゃんと払ってほしい。
もし個人が責任引き受けられないというなら、国が選択の自由を国民から奪って大規模な立ち退きを命じ、災害に強い都市や漁村にすっかりつくり変える根拠がそこに生まれる。はたして、それを断行するだけの政治力がいまの日本にあるかどうか疑問ではあるが。
現状は、国がそこまでの指導力を発揮することができず、国民の選択の自由を認めたかたちになっている。しかし国民は、残念ながら自分で責任をとれるだけ十分には成熟していない。日本にはそれなりの経済力があるが、日本人は依存体質から脱却できていない。
幸いまだ大きな災害が起こってないから、このボタンの掛け違いは露見していない。1995年1月の神戸の地震のとき少し社会問題化したが、すぐに忘れられてしまった。

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