

観測された放射線量の過半はヨウ素とキセノンによるものだったらしい。急上昇して急降下するのはそれらを含んだ空気が通り過ぎて行ったから。急上昇したあと汚染が継続する地点は、降水によって放射性物質が地表に落ちてそこにとどまったから。
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・2011年3月14日23時出発、24時間かけて関東平野上空を通過して奥多摩・群馬・栃木から郡山まで。
・次が15日11時出発、18時ころ飯舘・福島・二本松。
・最後に18時出発、主軸の北側の副軸汚染。
・会津は郡山からも汚染されたが、二度目の福島からのが強い。
@neko3no3teさんの考察による。

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ツイートまとめ

2011年3月15-16日の降水量と放射線量はどれほどの相関をもつのだろうか。福島県内と関東平野で、降水が2ミリ以上あったところ(黄・緑・水・青)の放射線量が高い。首都圏の放射線量が低いのは、たまたまこの日に降水がなかったからである(予報は雨だった)。放射能雲は届いた。仙台・山形・米沢・喜多方・新潟・長岡では16ミリを超える降水があったが、濃い放射能雲がそこまで届かなかったためにあまり汚染されなかった。柏へ伸びる放射能汚染は3月21日だったから、ここでは見ない。
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@cocoblueskyさんのツイートを編集しました。
2012年8月23日の院内集会は、国会議員・議員秘書・都議・区市議・プレス(読売新聞・共同通信・東京新聞・都政新報・フリー記者数名)そして OPK、IWJ の中継が入って、合計50名ほどの参加者になりました。
▼はじめに
わたしは過去と現在の噴火を研究している火山学者です。火山灰に関する専門知識を応用し福島原発から放出された放射性物質の分布をうまく理解することができたので、みなさんの役にたってほしいと思ってこの地図を作りました。議員のみなさん向けの勉強会で話すことで、この国の何かが決まるわけではありません。しかし政治家の方々と、直接はなしができるいい機会なので、この地図に何が書いてあるのかを、きちんと説明したいと思います。
わたしは学者です。火山を対象とした地質学の手法によって、科学的に物事を考えています。わたしのこの説明は、学者がこの放射能リスクを評価するという科学的行為です。この放射能事故に、学者であるわたしができたことは、このような地図を作り全力で科学的に物事を考え、放射能リスクを評価することでした。この地図を通し、リスク評価、現在の科学的知見を、きょうみなさまにお渡しします。学者のリスク評価を受け取ったあと、そのリスクをどう管理し対応してゆくかを考えるのは、個人および政治家の方々のお仕事です。
リスク管理において、「科学が貢献できる重要性は1割程度しかない」と唐木英明さんが言ってます。わたしもそう思います。リスク管理においての9割が、科学以外の経済や政治、その他の社会的要請によって決まることに、わたしは異論ありません。ただし、科学と矛盾したことや科学を軽視した結論を出すときには、科学をねじまげないでほしいと強く言いたい。科学を軽視したリスク管理の結論だす時には、リスク評価をした科学はこうであるが、別の要請により、このような結論に至るのだと覚悟して、腹を決めてほしい。きょう来てらっしゃる政治家の方々には、特にそう言いたい。
政治家や個人が、自分たちのリスク管理の思いを遂げるため、科学をねじまげようとするならば、わたしは科学者として徹底的に戦うつもりです。「科学をねじまげるな」それに対しては徹底的に科学者として戦う。その思いで、わたしが知りえた現在の科学的知見を、きょうみなさまにご説明します。これを受け取って、みなさんが、その先をやってほしい。
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