10名様限定、ただし独身女性優先。

第1日 NRT1950/0755HNL0955/1046ITO 夕刻成田発、正午ころヒロ空港集合。キラウエア・ビジターセンターへ、夕食はヒロ一番のレストランで(ヒロ泊)
第2日 キラウエア・カルデラの火山地形見学、夕食はKTAスーパーマーケットでアヒポキを買ってホテルの庭で(ヒロ泊)
第3日 カラパナ海岸、溶岩すくい。ホテル着22時(ヒロ泊)
第4日
サドルロードを通って西海岸のビーチへ、夕食は有名なポークチョップを召し上がれ(キャップテンクック泊)
第5日 コナで各種アクティビティに参加。おみやげはコナコーヒー。(キャップテンクック泊)
第6日 朝コナ発 KOA1051/1135HNL1310/
第7日 午後成田着 1700NRT
・日本航空だと11万1530円。
・ホテル1泊8000円、2人部屋。
・レンタカー負担1万円
・コナの延泊可。
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全球を対象として毎年の噴火記録を15世紀まで遡ってみよう。噴火した火山の数は、15世紀は毎年1-2個にすぎなかったが、18世紀には10個を超え、20世紀には60個を超えた。この激増は、地球がしだいに活発化して火山噴火の数が増えているからではない。観察者側の事情が変化したことによるみかけの増加だ。15世紀から大航海時代が始まって、人口が増え、情報の流通が良くなったせいで、火山噴火の報告数が増えた。観察対象である火山は15世紀もいまも同じ調子で噴火を繰り返している。
これと同じことがいま福島県で起こっている。いままでになかった規模と手法で集団スクリーニングが実施されているから、そこで甲状腺がんがたくさんみつかっている。甲状腺がんが増えているわけではない。
図は、Siebert, et. al., (2010) Volcanoes of the World, 3rd ed. Smithsonian Institution and University of Calfornia Press より
▼2011年
3月11日 地震と津波。全交流電源喪失
3月13日 広野町避難指示、いわき市へ
3月15日 最大汚染
3月16日 川内村避難指示、郡山市へ
4月22日 20キロまでを
警戒区域、その外側で飯舘村まで計画的避難区域、20-30キロ圏は緊急時避難準備区域に
国が指定。
9月30日 国が緊急時避難準備区域を解除
▼2012年
1月31日
川内村帰村宣言3月30日
広野町避難指示解除4月1日 警戒区域の再編開始。まず田村市と川内村から
▼2013年
8月8日 川俣町を最後に警戒区域の再編完了
11月11日 帰還しない住民にも手当てするよう
与党が政府に提言▼2014年
4月1日 田村市都路の避難指示を解除。
7月26日 川内村275人の避難指示を解除(予定)。残りは54人。延期。10月1日予定。
▼2015年
9月 楢葉町の避難指示を解除
▼2016年
6月 葛尾村、川内村の残りの避難指示を解除
7月12日 南相馬市小高区、原町区の避難指示を解除
▼2017年
3月31日 飯舘村、浪江町、川俣町山木屋の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。
4月1日 富岡町の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。両日で3万2000人への避難指示が解除されたが、戻ったのはまだ少数。
(残りは大熊町と双葉町と帰還困難区域の2万4000人。当初は9万人が避難を強いられた。)
国の方針発表を待たずに自主的に避難した広野町と川内村。原発からの距離は近かったが放射能汚染は軽微だった。とくに川内村は、汚染がよりひどい郡山市に避難するという愚を冒した。いっぽう、原発からの距離は遠いが濃い放射能霧に襲われた飯舘村。村の中にさまざまな意見があったようだが、村長は一貫して避難を拒んだ。さて、これらの自治体にはそれぞれどんな将来が待ち受けているだろうか。(2013年11月12日)
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