早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

地方分権に逆行した薄っぺらな指針

噴火時等の避難に係る火山防災体制の指針」の66ページ。

避難勧告又は避難指示は、気象庁から噴火警戒レベルのレベル5(避難)が発表された場合には、市町村長から速やかに発令することが望まれる。


いつ避難するか、それともしないかは、防災対策においてもっとも重要な意思決定である。この決断を気象庁がするとしている。「望まれる」と書いてはいるが、これは上位行政が下位行政に対してそうするように指図している文に他ならない。防災対応の決定は地元市町村長の専権事項であるとした災害対策基本法に抵触している。

レベル5になったらすみやかに避難勧告しろといっているが、これは逆に、気象庁がレベル5にしないかぎり市町村長が住民に避難を勧告しなくてよいと容認していることになる。膨大な手間とコストがかかる住民避難をすき好んで選択する市町村長はいない。避難勧告せずに人的被害が出たときの責任を気象庁長官に転嫁できるなら、自発的意思によって住民に避難を勧告する市町村長はひとりもいないだろう。国の意向に沿わない独自判断に、都道府県や周辺の市町村から手厚い援助が得られるとも思えない。こうして逃げ遅れる。

一方、いったん気象庁がレベル5だと宣言すれば、市町村長は否応なく避難勧告を出さなければならない。地域の特殊事情を斟酌する余地が残されていない。地域特有の生活形態が中央の意思でいとも簡単に壊される。この指針は、火山リスク対応における市町村の自主自立を否定するものであり、地方分権を進める時代の流れに逆行する中央政策だといえよう。

一方、噴火の危険性が極めて高くなった場合においては、拘束力が強い警戒区域を設定することが有効な場合もある。実際に、1990年(平成2年)から1995年(平成7年)にかけての雲仙普賢岳の噴火においては、避難勧告が発令されたにもかかわらず、避難勧告の対象地域に立ち入った人のうち、41名が死亡し、3名が行方不明となっている。住民からは、警戒区域の設定により、経済的な活動が不可能になり生活の糧が失われることについて、強い反発が起こることもあり、市町村長は警戒区域の設定に躊躇することも考えられるが、避難指示等を発令しても避難しない住民が多い場合等には、死傷者をゼロにすることが何事にも優先することを認識して、警戒区域の設定も視野に入れる必要がある。


「死傷者をゼロにすることが何事にも優先する」と断言しているところに、この指針をつくった委員たちの幼さが透けて見える。火山危機では、死傷者が発生するかどうかをあらかじめ確からしく予測するのはたいへんむずかしい。不可能だともいえよう。あいまいにしか予測できない未来を前に、生命維持と今後の生活確保のバランスをいかにとるか究極の選択を迫られる。生命絶対主義を掲げて、この課題に立ち向かうことをあっさり放棄したのをみると、この指針全体がそういう安易な考えでつくられた薄っぺらなものではないかと疑われる。

1991年の雲仙岳災害以降、その苦い経験を踏まえて、火山危機で警戒区域が新たに設定されたことは一度もない。この重い事実を委員たちは誰も知らないのであろう。2000年の有珠山噴火のときは、洞爺湖水面にさえ警戒区域を設定するのを避けて避難指示とした。誰も住んでいない水面なら警戒区域に設定してもよいだろうと私は思ったが、警戒区域を設定することによって起こるかもしれない予期せぬ弊害を恐れてそうしなかったらしい。

思うに、2000年8月、東京都のいいなりになって三宅島に緊急火山情報を最後まで出さなかった気象庁が、「死傷者をゼロにすることが何事にも優先する」とは、よく言えたものだ。あのとき犯した過ちを自己批判することがまず先であろう。

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