早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

モンプレーの溶岩ドームは榛名二ツ岳とよく似ている

西インド諸島マルチニーク島へ9日間行っていました。

2月5日にモンプレーの山頂に立ちました。強風と霧の中の登山でしたが、ときおり青空がみえて、カリブ海まで見渡せました。

溶岩ドームとそれを取り囲む「カルデラ」は、榛名山の二ツ岳とオンマ谷にそっくりでした。二ツ岳にはピークが三つありますが、モンプレー山頂にも三つのピークがあります。北側の二つが1902年溶岩ドーム、南側のひとつが1929年溶岩ドームです。1397メートルの山頂は1929年ドームがつくっています。

セントへレンズも1980年代に溶岩ドームをつくっていったん静かになったあと、2004年10月から再び溶岩ドームをつくりました。二ツ岳も古墳時代の噴火は20~30年の時間を経て二回あったことがわかっています。デイサイトの溶岩ドームをつくる噴火は、25年くらいの時間差で二回連続することがむしろ普通なのかもしれません。

モンプレーの溶岩ドームは、雲仙岳に1991年に新しくできた溶岩ドームともそっくりでした。1902年5月8日のサンピエールの悲劇と同一視されたくないとして広報を控えた当時(1991年5月末)の行政判断の誤りが悔やまれます。まったくの同一物だったのですから。

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(左)モンプレーとサンピエールの町並み。1902年の噴火時に2万8000人が住んでいたサンピエールの人口は、いま5000人だという。政治経済の中心地は、南部のフォートデフランスとラメンティンに移ってしまった。マルチニーク島全体の人口は40万人。伊豆大島よりずっと大きくて都会だ。日本で言えば、淡路島か佐渡島といった感じか。(右)1902年5月8日の熱雲によって、モンプレーに面した石積みの壁はことごとく破壊された。

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この牢獄にいたひとりの男が、大やけどをしながらも、助かったという有名なエピソードがある。実は、靴屋も助かって、生存者は2名だったということになっている。牢獄は、石積みの壁によって熱雲から守られた。

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