八月十四日 晴れのち小雨
午後一時の電車で東京から後藤さんと桐山さんが来るはずなので、迎へに行かうとして居た時、水の寄せるような地鳴りがして父と二人、「浅間だ」と外へ飛び出した。裾一杯まで見える門まで出ると、もう、めん羊の背中に似た煙が相当高くふき上げられて居た。藁帽子をかぶって駅まで行くと、途中から夕立のように大粒の砂がザアザア降って来て、木の葉はみるみる灰白色に変わった。一時間ほどで降り止んだが、後藤さんたちと一緒に帰ってみると家中ザラザラで、早速三人で大掃除しなければならなかった。
岸田衿子・岸田今日子(2001)『ふたりの山小屋だより』文春文庫
爆発音や空振ではなく「水の寄せるような地鳴り」を感じたという。それを感知するやいなや浅間山だとわかったというのも興味深い。実際にはどのような知覚なのだろうか。北軽井沢に降ったのは大粒の砂であり、爆発後しばらくしてから降り始めて一時間ほど続いたことがわかる。
気象庁の記録によると、このときの噴煙は1万2000メートルに達し、前橋と山田温泉に灰が降った。湯の平では山火事が発生した。20世紀に浅間山で頻発したブルカノ式爆発の中でも屈指だ。夏の日中だったことが災いして、登山者11人が死亡した。火山弾に打たれて多数の登山者が死亡したニュースは、群馬県側に住んでいた今日子の耳に届かなかったようだ。
12月17日、脳腫瘍でお亡くなりになったという。76歳。合掌。