早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

放射能リスクの評価

紀要論文「福島第一原発2011年3月事故による放射能汚染と健康リスク評価」2014年3月

・100ミリシーベルトで0.5%ががん死。「致死量」は20シーベルト。
・1ミリシーベルトで寿命1日短縮。1シーベルトで3年短縮。
・1ベクレルで寿命1秒短縮。10万ベクレルで1日短縮。
・15億ベクレルでひとり死亡。

比較
・交通事故のリスクは1年あたり寿命1日短縮。80年なら80日短縮。
・ひとの一生は3万日。

毎年2万人にひとりが交通事故で死亡する。ひとの寿命を100年として交通事故で死ぬ確率は1/200、つまり0.5%だ。生涯100ミリシーベルト被ばくすると、がん死が0.5%増える。交通事故と同じリスクだ。1年あたりの平均被ばくは1ミリ。

生涯100ミリシーベルト被ばくは交通事故リスクと同じ。その100ミリを1年で被ばくするなら交通事故リスクの100倍リスク。1か月で被ばくするなら1000倍リスク。

13discussion20.png 13discussion16.png

tasaki53.png 田崎晴明

福島第一原発から放射性物質が外に出た時刻、原子炉、セシウム量、汚染された地域
2011年
3月12日20時 1号機 0.6 女川・盛岡
3月14日23時 2号機 3.7 川場・那須・郡山
3月15日11時 2号機 2.7 飯舘・福島・会津
3月15日18時 2号機 0.3 双葉厚生病院・吉沢牧場
3月16日02時 2号機 0.3 鹿嶋 (2014年9月6日追加
3月20日11時 3号機 1.7 山形・一関
3月20日23時 3号機 2.2 いわき・柏
---------------------------------
合計         11.5 PBq(1000兆ベクレル)

コメント

すみませんが、これはわざと間違った事実とか周回遅れの認識を書いて、情報集めをなさっている、ということなのでしょうか?
福島では、専門外の発言や活動をやって失笑を受けている学者の類がたくさんおりました。

  • 2013/08/17(土) 10:46:54 |
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  • 広野町の者です #zdvXpt9s
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広野町民、現実逃避するなよ。

  • 2013/09/22(日) 03:42:40 |
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  • 茨城 #/yCwUZZU
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茨木も福島も東京も被ばく大差ないし、もうすめない。
動ける人は動くべき。

  • 2014/01/13(月) 04:16:01 |
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  • どんぐりこ #-
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要するに科学的に判明しているリスクは大したことはないことになっている。
しかし、チェルノブイリ周辺国では子どもの8割以上に慢性的な疾患が複数報告されていて、それらは科学的に放射能障害として認められていないため、リスク対象にはなっていない。
現地の医師たちは口をそろえて、その原因は放射能の影響だと訴えているが、それを証明するものはまだない。
今後、数十年が経過した時に放射能のリスクが科学的に認められることになるだろうが、その時までに放射線防護を取らない日本では、深刻なことになっている可能性は少なくないと思う。
分からないリスクは注意を払うのが当たり前であり、PM2.5を警戒するのであれば、同じように放射能を警戒すべきである。

  • 2014/01/20(月) 10:54:55 |
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  • 岡田 #2B3L1McM
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実効線量計算による過剰がん率を見るのであれば、このリスク評価は妥当です。しかし、放射能による健康被害をシーベルトという概念によって評価すること自体に、「科学」としての妥当性があるのかどうかは甚だ疑問です。チェルノブイリをめぐるあれやこれやの実録を「史料批判」的に読むのであれば、実効線量評価では説明のできない健康被害(がん以外の疾病)を想定したほうが、フクシマにおけるより妥当なリスク管理に結びつくのではないかと思われます。ただ、この方針をかかげて東日本で生活することは、どんな人にとっても「楽しい人生」とは言えないかもしれません。

  • 2014/03/27(木) 14:03:50 |
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  • taiki_sanki #mpvuj0ms
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交通事故のリスクと比較することは妥当か

私は、被ばくのリスクを交通事故のそれと比較するのは妥当ではないと考えます。
自動車の場合、事故による人・物の損失を上回る利便性を大多数の人が認めており、且つ安全のための施策(運転免許制度、交通規制)、各種保険による事故に対する補償を前提に、異論はあるにせよ年2万人に1人の死が受け入れられているのです。
一方、被ばくはどうでしょう。電気を使うための代償でしょうか?そうだとしたら、電気機器には利便性に対して被ばくの代償があることを明記すべきですし、被ばくに対する保険・補償も必要でしょう。電気利用免許(事業者のみならず一般市民も)も必要かもしれません。
これが馬鹿げているとお考えなら、エレベータやエスカレータのリスクと比較すべきです。
老若男女が日常的に使いますし(特別な訓練が要求されない)、利用者は重大な事故を前提にしていないですから(エスカレータに乗るから保険に加入する、という人は居ないですよね)現在の電気の利用形態に近いです。
もし毎日のようにエレベータやエスカレータで事故が起こり人が死傷したら、社会的に絶対許容されないでしょう。(シンドラー社やゴム製サンダルの例で証明されています)
被ばくと交通事故のリスクが比較されることが多いのは、前提を考慮してのことではなく、単に数値的に比較しやすいからに過ぎないと考えています。(タバコが引合いに出されるのも同様)

  • 2014/06/01(日) 19:14:01 |
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  • 埼玉県在住 #21aQVWD2
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法律と科学

原子力発電からの電力受益に関わっては,正当化の原理が社会的に容認されています。これは原子力法制を整備する際に,10000年に1回の事故では,一年間に5ミリSvまで,などと既に専門家の間で議論がなされて仮定されていることです。

また,人が受容するリスクには,社会学としては,受動的(被曝や交通事故など)と能動的(喫煙,冬山登山,バンジージャンプ,薬物など)に区別されていて,二者の危険度感覚の差は,およそ1000倍から2000倍とされています。

こうしたことを知ると知らないとでは,被曝評価への結論が大きく違ってきます。

被曝と交通事故を同等に比較して論じるのは,さして学問お法律の手続きとしてさして問題は無く,通常の考え方と思われます。

  • 2014/07/19(土) 18:11:58 |
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交通事故のリスク ~ 商用原子力発電における正当化の原理とは?

「埼玉県在住」のかた「交通事故のリスクと比較することは妥当か」に関連して,補足します。このような誤解があるのは,社会の法制やリスクの意味が浸透していないからだと思われます。

トヨタや日産の自動車を買う際に「この車を買って運転すると,一年間に120万人の交通事故死傷者の原因となります。死者は5000人程度です。」などとディーラーから説明されるのでしょうか。

同じように原発の電気で動く電化製品にもそのような説明はありません。なぜならば,自動車も原発も,正当化の原理を元にして,社会的に受容されており,原子力法制もこの考えで出来ているからです。

商業用原子力発電所利用の正当化の原理についてです。国際的な任意団体ICRPは,「我慢しなければならない被曝は,それが正当化される範囲に限定される」としました。これを「正当化の原理」と言います。この正当化の原理はきわめて明確な原理なのです。

我が国の原子力法制の最下層に位置し具体的で分かりやすいものの1つとして,電離放射線障害防止規則があります。

「第一章総則」には,(放射線障害防止の基本原則)として,「第一条  事業者は,労働者が電離放射線を受けることをできるだけ少なくするように努めなければならない。」と規定しています。

つまり,正当化の原理とはこういうことなのです。

電離放射線障害というのは,被曝であり人体にとって基本的に実害(医療用についても)だから,それを人為的な理由で変化させる時には,害に見合う便益が必要だ,ということです。「一般の人に我慢させるのだから,それに見合う利益が要る。」とも言えます。

どの程度の我慢が,どの程度の利益とイコールになるのかは,その国によって違うので,世界的には「考え方」だけは明確に書くことができるのです。この約束は現在のところ,ほぼ全世界の国が合意していて,もちろん日本も同意しています。

日本では,害と便益を次のようにしています。(自動車利用に伴う交通事故についても,以下のように害と益で考えることができます。)

1)害=1年8000人の致命的発がんと重篤な遺伝性疾患の発生
2)益=6000万キロワットの原子力発電・再処理・貯蔵や放射線利用

これは放射線審議会などの国の機関で原子力などの専門家が決め,国のしかるべきルートにしたがって認められているものです。

今後,たとえば原発がなくなると,医療用放射線利用だけになりますので,国民の便益が減るので,現在の1年1ミリからかなり低くなると思います。いずれにしても,線量限度と言うのは「大丈夫」というのではなく,「危険だけれど我慢する」という量であることがわかります。

そして,1年8000人の犠牲者ということが決まれば,それはいったい,1年に何ミリシーベルトの被ばくに相当するかということを学問的に決めなければなりません。国立がんセンターから発表されています。

それによりますと,専門家が使用する数値(10万人当たりの犠牲者数)が書かれていて,1年1ミリシーベルトで,10万人当たり致命的発がんが5人,重篤な遺伝性疾患が1.3人で合計6.3人となっています。これを1270倍(1億2700万人)すると日本人全体になり,約8000人ということを意味しています。

つまり,1年1ミリという限度は,6000万キロワットの電気をもらうので(これは商用利益,便益) → 1年8000人の犠牲者は我慢する(被曝による人命損害) → それを専門家が審議したら1年1ミリとなったということで,90年代より決まっているのです。

だから,原子力法制は,原子力基本法を頂点として,どの法律でも,どの装置でも,原発,廃棄物,アイソトープなどすべてのものがこの数値以下にならなければいけないことが分かります。また,1年1ミリというのは外部被曝と内部被曝の積算が1年1ミリ以下でなければならないのです。

  • 2014/07/19(土) 22:27:57 |
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交通事故のリスク ~ 商業用原子力発電における正当化の原理とは?2

こんにちは。幾度も失礼いたします。誤解を解消するために補足を続けさせて下さい。前回のように,受容できる便益に対しての我慢できる限界を規定したものが正当化の原理です。

「埼玉県在住」のかたがおっしゃるように「被ばくと交通事故のリスクが比較されることが多いのは、…単に数値的に比較しやすいから…(タバコが引合いに出されるのも同様)」なのではなく,学問的に考慮した結果なのです。

横軸での正当化の原理に関連して,縦軸での被曝についても,原子力や放射線の専門家が,受忍できる被曝について,大気中に放射性物質が拡散する原子力発電所事故と被曝の関係を規定しています。

つまり,事故がどのぐらいの確率で起こるか,それはどのぐらいの大きさかというのを20年ほど前より議論しており,きわめて重要な事です。それがないと何に備えるのか,どのような非常用設備がいるかなども考える事ができないからです.

どのような事故がどのぐらいの頻度で起こることが想定されていたかというと,「10万年に1度ぐらい,原子炉が破壊され,その外側の格納容器も損傷して,大量の放射性物質が外界に出る」という想定でした。

10万年に1度なら1年に1ミリの被曝限度を,1年5ミリから10ミリまで増やすことができ,100万年に1度ぐらいなら1年100ミリまでOKということになっていました。

事故の間隔が開くと,集団で被曝して遺伝子に損傷が起きても,それを修復する時間があるという考え方で,事故の間隔が開くほど許容線量が高くなるという考えを使っています。

平時は1年1ミリシーベルト(横軸)ですが,1000年から1万年に一度程度の頻度で起こる事故では最大で10ミリシーベルト程度,さらに頻度の少ない場合は100ミリシーベルトまで受忍,許容するという事になっています。

これが,縦軸における商業用原子力発電所の正当化の原理です。

しかしながら,現実的には,今の地球は第2氷河期のまっただ中であり,その中でも間氷期なのですが,3000年後には氷期が訪れて私たち人類(ホモサピエンス)の絶滅が予想されている(北極から台湾の緯度までは全面結氷します。)ことから,限度は10ミリシーベルトと受け止められていました。

いずれにしても,被曝できる線量限度は普通なら1年1ミリシーベルトに決まっており,これが他の規制値=1年100ミリまで大丈夫になる,など考えられないのです。

我が国には,学問の自由がありますから,一個人の学者として精神的および内的な自由の保障はされます。

ですから,「法律では1年1ミリシーベルトに決まっています。が,私は1年100ミリまで大丈夫だと思う。」と持論を展開するのは良いのです。そして,かならず「しかし,法律ではこうなっている」ことを言わなければいけません。

しかしながら,社会に関わり,人々の人生や生命,魂を規定することになる医師とか裁判官,教師などが,これらの職業の立場で「法律とは違うが,1年100ミリまで大丈夫。」と言うのは,電離放射線障害防止規則などの原子力法制違反で,違法教唆に当たり,法律犯罪性や倫理違反の可能性があることが指摘されます。

つまり,自動車運転で血中のアルコール濃度が0.15(ミリグラム/リットル)以上が検出されると法律違反で罰せられますが,「0.15以上であっても運転しても良い,特に問題はない。」などと,「学者」ではなく「上記のような専門家」として社会に発言できないのと同じ事なのです。

  • 2014/07/20(日) 07:56:59 |
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放射能リスクの評価とリスクの種類

こんにちは。続けて何度も申し訳ございません。放射能リスク評価について,補足を続けさせて下さい。

早川先生の紀要論文「福島第一原発2011年3月事故による放射能汚染と健康リスク評価」2014年3月を私は読ませて頂きまして,大変勉強になりました。大変に失礼な申し上げ方なのですが,早川先生のように,商業用原子力発電所からの被曝と交通事故を同列比較をしていらっしゃるのは,科学として社会正義として,きわめて自然な考え方であると感じます。

放射能リスクの評価を被害,損害や危険性の評価という言葉にします。今回,「放射能による健康被害をシーベルトという概念によって評価すること自体に,「科学」としての妥当性があるのかどうかは甚だ疑問です。」という他の方のコメントもございました。

が,シーベルトの考え方は,既に学説の域を超えて現在ではひとまず学問として確立されています。この出発点を同じにしないと放射能リスクの評価はできません。「甚だ疑問」とおっしゃるのは,1つの学説としては正しいと思います。100年後には,それが学問になっている可能性もあります。

放射能リスクの評価とタバコのリスク評価についてのコメントもございましたが,補足をさせて下さい。食品も含めて,すべての工業製品には人体へのリスク=危険性,被害,損害が出る可能性があります。これらも受忍限度と正当化の原理で説明されます。分かりやすくするために,「大丈夫」と「危険を避ける」との違いを考えます。

「危険を避ける」時には「自分は過去にこうしても安全だったから,他の人もそして,将来的にも大丈夫」という個別経験判断とは関係なく,10万人についての単位人などで,どれだけの被害者が出るかで決める必要があります。

人生で不遇の死を遂げることは絶対に避けなければならないのと,生活の危険は,交通(自動車,電車,旅客機など)・火事・台風・大雨・強風・崖崩れ・食中毒・農薬・添加物・アレルギー・感電・被曝・電磁波・熱中症・凍死・階段・やけど・インフルエンザ・結核・ガン・犯罪・通り魔・誘拐・スポーツ・旅行や出張の外出・・・・など数が多いからです。

2011年12月,原子力災害による被曝で被害者が多数出たという事故と,日常生活でサラリーマン本人に野菜不足が起きるという個人管理の問題を,同列視点である新聞が社説に取り上げました。その論旨は非科学であり論理破綻のようです。原子力災害による被曝は社会的問題であり,強制的なリスクで避けようがありません。対して,栄養不足は私生活レベルでのプライベートな自由な問題,すなわち,単なる健康管理のことですから,文字通りの自己責任です。

このように同じように見えるリスクでも,社会とのつながりの場合と個人のプライベート(個人行動で規定される趣味嗜好健康など)は同列に扱えません。つまり,受動的リスクと能動的リスクにおいて「危険性」とか「事故に合う確率」を考える必要があります。

人間は「~したい」と思うことをする時は,それほど恐怖を感じません。例えば「冒険家で有名な○○さん」とか「冬山登山」,「ヨットで太平洋横断」「南極大陸走破」などが普通にあるくらいで,挑戦する人は「安全」や「安心」とは別の次元にいます。スポーツでは,身体負担の高いトライアスロン競技などがあります。

「安全かどうか」というのは単なる確率の問題ですが,受け身で被害を被れば心配になり,「安心できるか」は「自分がしたいか」という人間の心が関係しています。危険学データでは,能動的(自分でしたい)か受動的(受け身)との間に,最大で1000倍程度の違いがあるそうです。

放射能リスクの評価は,受け身のリスクですから,タバコのように嗜好に関わる=自分でやりたい,という能動的リスクと比較するのは無理があるわけです。オートバイでの運転者と同乗者ではどうでしょうか?やはり,2人の間には最大1000倍程度の差があります。自動車の運転者と同乗者では,かなり少なくなりますが。

被曝では職業的な被曝は1年20ミリまでOKですが,一般人については1年0.02ミリがクリアランスレベル(受動的に「これなら安心」というレベル。1000分の1)が決まっているのは,この1000倍の考えかたがあるからだと思われます。つまり,放射線業務従事者の職業的な被曝が1年20ミリ(電離放射線障害防止規則4条,五年間につき百ミリシーベルトから計算)になっていることに合わせています。

受動的なリスクである福島原発事故被曝と自分の意志で行う「喫煙」,「野菜不足」,「飲酒」の等の被害と比較するには,リスクを1000分の1や1000倍に調整する必要があります。つまり,1年1ミリで被曝によるがん死,もしくは発がんは1億人で1000人から1万人ですから,比較するなら,100万人から1000万人が死亡する危険性にも取れるわけです。

このように放射能リスクの評価は,受動的能動的の視点で行う必要もあるわけです。

  • 2014/07/20(日) 16:37:16 |
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放射能リスクの評価と予防原則,そして,被曝は合算

こんにちは。幾度もお邪魔してしまいまして申し訳ございません。放射能リスクを考えるために補足を続けさせて下さい。

放射能リスクの評価を被害,損害や危険性という言葉にします。ここまで見たように,商業用原子力発電所からの被曝と交通事故は社会的利便性と損害(病気や事故)との比較から同列比較ができるわけです。

放射能リスク評価をする際に避けて通れないのが,「予防原則」による科学としての規制政策です。予防原則は,戦後新しく出てきた環境対策の見方です。

「環境から人が被害を受けるおそれがあるときには,取り返しの付かない事態を避けるために,科学的に有害か無害かの結論が出ていなくても,予防的に安全サイドで規制することができる。」→「ヒトへの安全が確認されるまでは,予防的に使用を規制できる。」というものです。

水俣病の水銀汚染や,イタイイタイ病のカドミウム,大気汚染=亜硫酸ガスによる四日市ぜんそく,原発事故の体外・体内被曝などに代表されるように,毒物は不意に出現します。

電離放射線の低線量被曝による重篤な遺伝的疾患,がん・白血病などの致命的な健康被害が出るのは,確定的よりは確率的,と言うように医学的に明確でない場合が多いからです。

つまり,被曝と健康の関係は,特に100ミリシーベルト以下の領域では,学問として,人体に良い・悪いも含めてどのような影響があるのか,明らかになっていません。

電離放射線もですが,社会に出回っている毒物かどうか分からないものをそのまま放置しておくと,取り返しの付かない被害者がたくさん出ることがあります。ですから,そうならないように,「予防的に」厳しい制限を設けて,その間に医学的,科学的に学問を進めて白黒=有害と無害をはっきりさせようというわけです。

そして,毒物がどうかがはっきりしたときに,規制継続・強化か解除をする,という国際的な取り決めが,日本からは当時の環境庁長官が出席した1992年のリオデジャネイロの環境サミットにおけるリオ宣言第15原則として定められ,明確な方向付けが行われました。

放射能リスク=被曝に関しては,このように学問的に被曝が人体にどのように影響を及ぼすのか未解明なので,予防原則の精神と合意から,1年1ミリシーベルトが受忍限度と言うのが世界共通の予防原則の立場です。日本でも2011年までは,この規制値で何も変なことは起こってきませんでした。

被曝については,1年1ミリシーベルト(外部内部を積算して)以内で,と唱えることは,
1 この予防原則や,
2 前回の,受動的な危険の考え方
3 前々回の,正当化の原理,
4 電離放射線障害防止規則などの日本の原子力法制
の4つの考え方によって,損害=死者を含めた犠牲者の数を考慮することです。このことが大切であることを確認して,放射能リスクの評価を考えたいと思います。

さらに大事なことですから,付け加えます。

「日本では自然放射線は1.5ミリシーベルトあるから,原発事故で1.5ミリシーベルト出ても問題は無い。」という放射能リスクの評価コメントがあり,2011年当時はマスコミでも良く言われていました。

この誤解については,シーベルトやベクレルが示量性変数であることを考慮していないから,と思われます。つまり,エネルギーを表す単位としては,酸アルカリのpH,熱や温度の℃,波長mなどの示強性変数と,電流A,重量g,崩壊率のベクレルや生物学的影響量シーベルトなどの示量性変数があります。

これら両者の組み合わせで,世の中の現象は説明されます。示強性変数は相互に比較できますが,示量性変数は相互に比較できませんから,数値を合わせることでエネルギーの大きさを見ることができます。

ですから,天然放射線と原発事故の放射線が同じだからという並べての比較ではなく,2つは示量性変数ですから,合算してその影響を調べる必要があるのですね。

  • 2014/07/23(水) 21:53:14 |
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被曝のリスク再考

memory card さん
ご投稿内容、参考になりました。
お陰様で、交通事故のリスクと被曝のリスクを比較することに何故違和感を感じたか分かりました。

自動車はその利便性から、各種の規制を前提に社会から(リスクを)許容されているのですが、原発は社会から許容されなくなりつつある(若しくは既に許容されていない)からなのですよ。

たまたま、「放射線カウンセリングステップONE」(2005年刊行)という文献を読んだのですが、その中に被曝のリスクイメージの要素として、3因子が挙げられていました。
・因子1(恐ろしさの因子):制御できない・結果が致命的・自発的でない・将来の世代にリスクが及ぶ
・因子2(未知性因子):観察することができない・結果が現れるのに時間がかかる・新しいリスク(人間が新しく作り出した)
・因子3(災害規模因子):被害を受ける人の数
311前の文献ですが、現在の状況を見事に言い当てていませんか?

交通事故も致命的(死ぬことがある)で、結果が現れるまで時間がかかる(時間が経ってからの後遺症)ことはあるかもしれませんが、将来の世代にリスクが及ぶことはまずありませんし、被害を受ける人の数も限定されます。
それに、発生直後は勿論3年経っても制御できていないものを社会は今後許容していけますかね?(Under controlと言っている人は居ますが...)

また、因子の話からは外れますが、法律では「汚物は、ばら撒いた人が責任をもって片付けること」と決まっているのに「無主物」と言い張って掃除しに来なかった会社もありましたね。

だから今後、被曝について今までのようにリスク-ベネフィットの議論を行うのは困難になっていくと思いますよ。

なお蛇足ですが、
>トヨタや日産の自動車を買う際に「この車を買って運転すると,
>一年間に120万人の交通事故死傷者の原因となります。
>死者は5000人程度です。」などとディーラーから説明されるのでしょうか。
商売上、ディーラーはそんな表現では言わないでしょうね。
但し免許をお持ちならご存知のはずですが、少なくとも教習所や運転免許の試験後の合格時講習では自動車運転の危険性について説明があるはずですし、初めて車を買ったときはディーラーから任意保険への加入を勧められるでしょ?
言い方に違いはあっても、ことあるごとに車の危険性について説明を受けていると思いませんか?

  • 2014/07/24(木) 01:43:25 |
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  • 埼玉県在住 #pdCDMl7k
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被曝が容認されなくなったそのわけ

 「埼玉県在住」のかたへ,失礼いたします。たくさんのご教示を頂きまして,どうもありがとうございます!大変に参考になりました。特に,因子部分は事故の予見と言うこともあり,とても勉強になりました。その上で,整理を続けさせて下さい。

 前項で,予防原則について加えまして,被曝リスクを考える視点は4つとなりました。

>交通事故も致命的(死ぬことがある)で、結果が現れるまで時間がかかる(時間が経ってからの後遺症)ことはあるかもしれませんが、将来の世代にリスクが及ぶことはまずありませんし、被害を受ける人の数も限定されます。

 交通事故と被曝のリスクのそれぞれの条件についてです。交通事故では,現在の生産台数と廃棄台数の合算と使用量(時数と頻回度,速度など)を続けた場合ですね。対して被曝は,前項等で述べましたように,1年1ミリシーベルトを続けた場合に,ほぼ交通事故と同程度の被害が出るので,「交通事故が容認されるなら,原発と医療による被曝も同じ程度ならば仕方が無いでしょう。この程度にしましょう。」と専門家の間で法制面等で1ミリシーベルトと取り決めたわけです。これが90年代初頭のことでした。

 2011年以前は,被曝と交通事故は同列で比較できていました。が,早川先生が今回の被曝事故を分析されているように,この規模で事故が起こってしまうと,交通事故と被曝は同じ条件で比較が出来なくなってしまいます。つまり,福島など数県!だけで,通常期の国内一年間と同じ程度の被曝犠牲者が増えてしまったわけです。

 被曝の方が交通事故などより条件的に非常に厳しくなって,国民はこれまでのように,正当化の原理などでは容認することができなくなるわけです。早川先生がおっしゃる5300人という増加分は,単純な数字的としては,交通事故で言うと今の自動車台数のほぼ2倍が国内を走り回るようになったという感じですね。

>それに、発生直後は勿論3年経っても制御できていないものを社会は今後許容していけますかね?

 わたしも,この3年間の推移と,そして今回の早川先生のようなご論文が出るに至っては,到底許容などできないと国民の多くが考えている,と思います。

 国民が容認できない(されなくなりつつあるよりも厳しいと私は見ています。)という世論を受けて,国内全ての原発が停止しています。大多数の人々が考えていることは次の通りでしょう。

 …考えてみますと,別に電気を起こすのに,国がコストの10パーセントも出費して,わざわざ被曝して健康を害して,国民が命がけになる必要は無いです。つまり,自動車は今のところそれに変わる発明がありませんが,電気はあと最低8000年はもつと言われる石炭石油天然ガスを燃やすだけのことです。電気は,安全でコストの掛からない方法で起こせば良いのでは…,ということですね。

 そして,細かなことですが,交通事故=後遺症は,低線量被曝が晩発性障害であることと符合します。また,日本もしばらく何十年かは自動車を使い続けるでしょうから,将来の世代にリスクは継続します。あと交通事故で「被害を受ける人の数も限定されます。」というのはどうでしょうか。一年間の交通事故死傷者数はおよそ120万人です。何と一年間で国民100人のうち1人が何らかの交通事故に遭い,損害を被っています。

>法律では「汚物は、ばら撒いた人が責任をもって片付けること」と決まっているのに「無主物」と言い張って掃除しに来なかった会社もありましたね。

 これもおっしゃる通りで,電離放射線障害防止規則28条などで規定されています。が,福島県のゴルフ場会社が起こした訴訟に対して,ベクレルは無主物なので責任は無いと裁判所は判決を出しましたのは,記憶にも新しいことです。

>だから今後、被曝について今までのようにリスク-ベネフィットの議論を行うのは困難になっていくと思いますよ。

 福島県での小児甲状腺ガンの発症率が現在では10倍と統計されています。嚢胞患者が移行する怖れがきわめて大きいことと,早川先生がご試算されている数字も今後実態として出るでしょうから,そのとき,もはやベネフィットとは言えない,と国民は判断するのでしょうね。

>但し免許をお持ちならご存知のはずですが、少なくとも教習所や運転免許の試験後の合格時講習では自動車運転の危険性について説明があるはずですし、初めて車を買ったときはディーラーから任意保険への加入を勧められるでしょ?言い方に違いはあっても、ことあるごとに車の危険性について説明を受けていると思いませんか?

 おっしゃるとおりだとわたしも思います。ここで教習所に当たるのは,放射線では経済産業省,文部科学省,厚生労働省などの役所なのでしょうか。これら役所は被曝は損害として法整備を進めながら,「原発も医療も被曝は安全」と説明してきたわけですから,自動車ディーラー業務の方々が危険について説明不十分なのと同値だと思います。

 医療被曝の日本の深刻さは,ランセット(世界でもっとも権威のある医学雑誌)論文で2004年に評価されているのが有名です。日本人は医療被曝で欧米人の3倍の発がんという結論。交通事故に置き換えますと,自動車の台数が日本は欧米よりも単純にして3倍多いということです。これはまた別に考慮しなければいけません。

 これまで述べました4つの根拠をも含めまして,まとめますと,やはり,早川先生と同じように,被曝と交通事故は同じ不特定多数の社会性リスクとして評価できるのだと感じます。

  • 2014/07/24(木) 19:34:24 |
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追伸をお願いいたします…。

「埼玉県在住」様へ。申し訳ございません,追伸をさせて下さい。

>交通事故のリスクと被曝のリスクを比較することに何故違和感を感じたか分かりました。

その通りです。原発事故前ですと,交通事故と被曝はリスク比較できたのです。

それが2011年の事故により,受忍限度として国民が容認できないレベルになり,同じリスクとして考えて比較できなくなりました。たとえると,お母さんが交通事故死者は5000人ほどで仕方なく我が子が登校するのを見送っていたのに(原発事故前),それが1万人ほどになったので,我が子を外に出せなくなった(原発事故後)ということです。

しかし,事故の被曝リスクを正面から考えるためには,早川先世がご論文でおっしゃっているように,本来ならば原発事故前にしかできない同列比較を敢えて原発事故後にも行うことで,変容の有様=リスクの深刻さを浮き彫りにする必要が出てきたのだと思います。この意図で早川先生はお書きになっていらっしゃると思います。

>自動車はその利便性から、各種の規制を前提に社会から(リスクを)許容されているのですが、原発は社会から許容されなくなりつつある(若しくは既に許容されていない)からなのですよ。

おっしゃるとおりだと思います。まず先にこれを申し上げたるべきでした。それゆえ,国内の原発は全機停止を余儀なく(?)されています。

>将来の世代にリスクが及ぶことはまずありませんし、被害を受ける人の数も限定されます。

「将来の世代」が,遺伝性障害をおっしゃっているのであれば,その通りでして,交通事故には無い要素です。そして「被害を受ける人の数も限定」?に付け加えですが,専門家の間で,交通事故死者数にほぼ見合う形で,1年1ミリシーベルトと被曝限度=犠牲者数が決められています。

つまり,原発事故前は交通事故と被曝とは同列でリスク比較できたのですから,二者の危険度が比較可能ならば,交通事故被害者数は原発事故前でも限定?では無いと考えます。もしも,交通事故被害者数が限定?であれば,原発事故前でも両者のリスク比較はできなくなってしまいますが…。

原発事故前は,交通事故も被曝もほぼ同じ犠牲者でしたから,交通事故で被害を受ける人の数が限定?とおっしゃるのはどの意味なのでしょう。

  • 2014/07/24(木) 20:58:36 |
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リスク比較は、事故後だからできるのだと思います。
つまり、311による実害(勿論、まだ今後の心配不確定要因がありますが)は、概ね、わかっております。

今回の放射能による健康被害は、他のリスクと比較できると思います。

しかし、原発そのもののリスクは、到底計算できないと思います。
万が一、あのときの風向きが、ずっと西・北・南向きだったら、その後の被害は全く異なっていたでしょう。(偏西風のおかげで助かった)

つまり、放射能リスクは他のリスクと比較できますが、原発リスクは、全く別物ではないでしょうか?

  • 2014/08/20(水) 19:30:10 |
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  • RIO #SFo5/nok
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埼玉県在住の方につきまして,わたしのコメントの訂正と補足。

すみません,訂正と補足をさせて下さい。

>交通事故も致命的(死ぬことがある)で、結果が現れるまで時間がかかる(時間が経ってからの後遺症)ことはあるかもしれませんが,将来の世代にリスクが及ぶことはまずありませんし,被害を受ける人の数も限定されます。

上記の埼玉県在住の方のコメントに関しまして,わたしは,
「原発事故前は交通事故と被曝とは同列でリスク比較できたのですから,二者の危険度が比較可能ならば,交通事故被害者数は原発事故前でも限定?では無いと考えます。もしも,交通事故被害者数が限定?であれば,原発事故前でも両者のリスク比較はできなくなってしまいますが…。」

と書きました。が,改めまして読みますと,これはわたしの読み違いでした。

>将来の世代にリスクが及ぶことはまずありません。
の部分と,
>被害を受ける人の数も限定されます。
は,並列表記で,同値の内容なのが,埼玉県在住の方の意図なのですね。

つまり,次代へのリスクが無い=被害者は限定される,ということなのですね。

それにつきまして,放射能被曝と交通事故を比較しての次代への影響としては,まず被曝は,晩発性発症による遺伝性障害などで次世代に影響がありますね。つまり,チェルノブイリ事故での事実=10代で被曝した女性が,自分は何も発症しなかったのに,20代で子供を産むと,子供に遺伝性の障害が出た,という場合をこれからの日本にも想定するわけです。

次に,交通事故なのですが,日本人はおそらく自動車をこの先数十年は使い続けるでしょうから,自動車の安全水準や道路事情が大きく変わらなければ,数十年後も交通事故が同水準で続くと考えます。その意味では,将来の世代にもリスクは継続して及ぶことになるとわたしは思います。ですから,次世代で被害を受ける人の数が限定されるということは無いと言うことになります。

  • 2014/10/16(木) 23:06:32 |
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