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早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

住民への避難指示と解除

▼2011年
3月11日 地震と津波。全交流電源喪失
3月13日 広野町避難指示、いわき市へ
3月15日 最大汚染
3月16日 川内村避難指示、郡山市へ
4月22日 20キロまでを警戒区域、その外側で飯舘村まで計画的避難区域、20-30キロ圏は緊急時避難準備区域に国が指定
9月30日 国が緊急時避難準備区域を解除

▼2012年
1月31日 川内村帰村宣言
3月30日 広野町避難指示解除
4月1日 警戒区域の再編開始。まず田村市と川内村から

▼2013年
8月8日 川俣町を最後に警戒区域の再編完了
11月11日 帰還しない住民にも手当てするよう与党が政府に提言

▼2014年
4月1日 田村市都路の避難指示を解除。
7月26日 川内村275人の避難指示を解除(予定)。残りは54人。延期。10月1日予定。

▼2015年
9月 楢葉町の避難指示を解除

▼2016年
6月 葛尾村、川内村の残りの避難指示を解除
7月12日 南相馬市小高区、原町区の避難指示を解除

▼2017年
3月31日 飯舘村、浪江町、川俣町山木屋の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。
4月1日 富岡町の避難指示を解除。ただし帰還困難区域を除く。両日で3万2000人への避難指示が解除されたが、戻ったのはまだ少数。
(残りは大熊町と双葉町と帰還困難区域の2万4000人。当初は9万人が避難を強いられた。)

国の方針発表を待たずに自主的に避難した広野町と川内村。原発からの距離は近かったが放射能汚染は軽微だった。とくに川内村は、汚染がよりひどい郡山市に避難するという愚を冒した。いっぽう、原発からの距離は遠いが濃い放射能霧に襲われた飯舘村。村の中にさまざまな意見があったようだが、村長は一貫して避難を拒んだ。さて、これらの自治体にはそれぞれどんな将来が待ち受けているだろうか。(2013年11月12日)

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福島民友、2013年

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福島民報、2017年3月31日

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