早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

赤いリュックの女性の証言

生還女性が初めて語る“あの時” 「焼け死ぬのか、溶けるのかな」
産経新聞 2015.9.27 06:00

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山頂付近で石造りの台座に寄りかかり救助を待つ女性。右手を小さく震わせ、助けを求めた=2014年9月28日午前11時31分、御嶽山(本社チャーターヘリから、大山文兄撮影)



 58人が死亡、5人が行方不明となった戦後最悪の火山災害、御嶽山(おんたけさん)(長野、岐阜両県)の噴火は27日で発生から1年。噴火翌日の平成26年9月28日に撮影され、翌29日付産経新聞1面に掲載された写真に写っていた東京都内の40代の女性が初めて取材に応じた。火山灰が積もった山頂付近で、周囲の登山客が次々と息絶える中、生還を信じ救助を待ち続けた女性。「備えの大切さを伝えたい」。噴火で受けた傷は今も癒えないが、当時の状況を振り返る決意をし、「あの時」を語った。

 もう手を振る力はほとんど残っていなかった。噴火から一夜明けた平成26年9月28日午前11時半。火口付近の八丁ダルミにある石像の石造りの台座に寄りかかった女性は、頭上を飛び交う自衛隊などのヘリに向けて救助を求めようとしたが、わずかに右手を振るのがやっとだった。

 降りしきる噴石で左腕を失い、腰や背中にも傷を負った。動くたびに激痛が襲い、貧血で何度も意識が遠のいた。「私に気付いていないのかもしれない」。なかなか近づいてこないヘリを見ながらそう思っていると、手元の携帯電話に着信があった。

 「どこにいますか」。災害対策本部からの電話だった。前日、ともに山を登り、無事助かった友人が、通報していてくれたのだ。

 しばらくすると消防のハイパーレスキュー隊が到着した。「がんばってね。がんばってね」。女性を乗せた担架を運ぶ隊員が励ましの声を送り続ける。

 まもなく灰に覆われた王滝頂上山荘が目に入った。「助かった」。そう思った。

 救出された台座の周囲には、前日までは確かに生きていた登山客の男性が、朝を迎えることができないまま、息絶えて倒れていた。

 「生き残れたのは噴石が当たる、当たらないの運、どこに当たったのかの運もあると思う。でも、少しだけ準備していったことも大きい」。女性はそう振り返ると、あの時の体験を語り始めた。

 女性が登山を始めたのは5年ほど前。関東近郊の百名山を中心に楽しんだり、長期の休みには、北アルプスへ遠出したりした。山岳会には所属せず、あの日も友人と2人で御嶽山を訪れていた。

 選んだのは長野県王滝村の7合目にある田の原駐車場の登山口から山頂へ向かう、ごく一般的なコース。噴火直前は、友人と離れた場所で八丁ダルミを1人で歩いていた。山頂までは、もうすぐだった。「ペースが上がらないし、迷うところではないので友人には先行してもらっていた」

 異変は音で気づいた。何かがはじけるような「ポン」という感じだったと記憶している。音がした方向を見ると、黒煙がモクモクと上がっていた。

 午前11時52分。御嶽山噴火。だが現実と受け止められなかった。「まさか、この山とは思わず、どこか他の山かなという感じで…」。においや揺れといった確たる変化もなかったため、直後は周囲の登山客と同様に噴煙を写真に収めていた。

 現実を突きつけられたのは10秒ほど後。気付くと周囲は真っ暗に。「逃げる時間はなかった」。近くに身を隠せるような岩も見えたが「その場で立ち尽くすというか、動けなかった」。噴煙は、もう目前に迫っていた。

 ■風化に危機感、語る決意…迫る噴煙「溶ける」/氷点下の夜耐えた

 想像もできなかった御嶽山(おんたけさん)の噴火。女性は迫り来る噴煙に背を向けるしかなかった。「(噴煙は熱く)サウナに入ったような感じで『焼け死ぬのか、溶けるのかな』と思った」

 噴石が襲ってきたのは噴火から1分もしない頃だった。山梨県富士山科学研究所の試算では、火口から噴石が出た速度(初速)は時速360~540キロ。地面に衝突した際の速度は最低でも108キロだったという。女性にもそんな噴石が容赦なく襲い、ザックで隠れていない後頭部や腰を直撃した。「折れたかなと思うほど、これまで受けたことのない衝撃」。実際に腰の軟骨は折れていた。

 噴石の勢いが少し弱まったとき、近くで一緒にしゃがんでいた男性が声を掛けてきた。「起き上がれないから起こしてくれ」。男性の体を支えてあげたが、すぐにばったり前に倒れた。どうすることもできず、男性の口に付いた灰を拭ってあげるしかなかった。

 その直後、噴石が再度襲ってきた。最初より激しく降り注いだ噴石は次々と体に直撃、最後に身体が地面に沈むくらいの衝撃を左腕に受けた。「痛い、熱い、しびれ。味わったことのない感覚だった」

 噴石の勢いが弱まり、体を起こした。周囲で動ける登山客は3、4人。口を拭った男性は亡くなっていた。自身はおなかに重たいものを感じた。噴石の直撃でちぎれた自分の左腕だった。体に少しだけくっついた状態で傷口から血が滴り落ちている。「止血お願いします」。必死に叫んだ。

 男性が手拭いで止血を試みたが、傷口に驚いたのか結びが緩く、別の男性がきつく結び直してくれた。腕をなくしたことは残念だが、命を落とすことはなかった。「とりあえずここまで乗り切れたから、生きよう」。そう思った。

 無事だった登山客に下山しようと言われたが、貧血がひどく、腰にも違和感があった。「歩けない」。その場に残る決断をした。

 100メートルほど離れた場所に、身を隠せそうな石造りの台座を見つけた。左腕を抱き、何度も気を失いながら、足とお尻を使い、尺取り虫のように進んだ。

 途中にうずくまる登山客の男性がいた。「一緒に行きませんか」。声を掛けると、男性は時間をかけて台座近くまで来た。

 長い時間を費やして移動し、台座を背にした頃には日が沈みかけていた。台座周辺には別の男性が1人いて、携帯電話で通話していた。相手は家族だろうか。「今噴火にあって、ちょっと無理かもしれないけど、俺は絶対に帰るから」。そう告げていた。

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9月27日16時58分、読売ヘリから川口敏彦さん撮影(早川挿入)

 夜になるにつれ風が強くなり、標高3千メートルの過酷な環境が女性たちを襲った。女性は日が暮れる前、台座の前を歩いて通り過ぎようとした男性に頼み、ザックの中からダウンジャケットと簡易テントを出してもらい、防寒対策として体に巻きつけていた。

 ふと携帯電話をみると、一緒に登っていた友人から何度も着信があった形跡があった。友人は無事だったんだ。少しだけほっとして折り返し電話をかけた。

 周りが暗くなる中、ただ寒さに耐えた。長野地方気象台によると、標高1千メートル付近にある御嶽山麓の開田高原で噴火翌朝の最低気温は6・6度。女性が一夜を過ごした標高3千メートル付近は氷点下だったことが想像される。過酷な環境に耐えられたのは、携帯電話から聞こえた友人の励ましの声だった。「私がここで死んだら友人はきっと自責の念にかられる。だから生き抜こう」。勇気を振り絞った。

 救助されたのは噴火から丸1日が経過した28日午後0時半。台座の周囲にいた2人の男性は息を引き取っていた。山にゴミを残してはいけないと、テントやダウンジャケットはザックにしまった。

 心身ともに負った大きな傷。それでも経験を語ろうと決意したのは、連日のように自然災害の脅威が伝えられる中、御嶽山の噴火が忘れ去られるのではないかと危機感を抱いたからだ。

 生死を分けたのは何だったのだろうか。「御嶽山は初心者でも気軽に登ることができるだけに、十分な準備をしている方は少なかった。生き残れたのは運もあるが最低限の準備をしていったからだ」と言う。

 女性は登山の際、日帰りでも簡易テントは必ず携行し、3千メートル級の山にはダウンジャケットも持っていった。夜になるまで生存していながら周囲で亡くなった登山客は、ダウンジャケットや簡易テントは持っていなかったようだった。生死を分けたのは「その差」と思っている。

 4月に職場復帰し、山登りも再開したが、火山へは二度と登るつもりはない。御嶽山噴火から1年。「もし山へ行かれる方は、リスクを考え準備をしてほしい」。最後にそう訴えた。(女性の希望により匿名としました)

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