早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

白馬大池

風吹大池は,白馬大池火山の一部です.溶岩ドームとそれを切っている爆裂火口地形が新しい.小敷池・科鉢(しなはちの)池などが爆裂火口です.風吹大池は,馬蹄型崩壊地形と溶岩ドームとの間のくぼみに水が溜まったものです.

風吹天狗原などの湿原に泥炭層があり,その間に厚さ2-5cmの粘土質火山灰が挟まれていますが,火山礫がまったくみつかりません.これは遠方(立山?)から飛来したテフラのようです.

結論:風吹大池の爆裂火口は泥炭層より古いらしい.泥炭層の形成開始はだいたい8000年前頃だろうから,白馬大池火山は完新世火山ではない可能性が濃厚である.ただし,溶岩ドームの地形が新鮮だから,後期更新世に噴火したと考えられる.推定最後噴火年代は2万年といったところか.

よその火山:八幡平にも同様の爆裂火口があるが,それも周囲の泥炭中に噴出物がないという.八幡平も完新世火山ではないのだろう.

(1997.8.23調査)

鷲羽池

北アルプス,鷲羽池火山で起こった6000年前の噴火
早川由紀夫・高田将志

1994年9月に執筆開始するも、雑誌に投稿するに届かず。早川と高田は1994年8月17日に鷲羽岳に登った。

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図1 インデックスマップ。鷲羽池は立山と焼岳の中間、活火山がちょうど期待される位置にある。

鷲羽池テフラ:砂礫まじり粘土質テフラ

基本層序:20cm泥炭/鷲羽池テフラ/5cm泥炭/鬼界アカホヤ
鷲羽池テフラの上下の泥炭の炭素年代は5.07/5.43ka.この時代の炭素年代は数百年若くでることがしられているから,鷲羽池の最後の噴火は6.0kaと考えられる.アカホヤを7.333kaとおもえば(福沢1994第四紀要旨),それが5cm下にあるのはたいへんうまい.
泥炭の堆積速度は,25cm/7.333ky = 3.4cm/kyとなる.これは北海道や尾瀬ケ原で測られている100cm/kyよりかなり遅い.

分布:どうやら南に分布軸をもつようだ.しかし東と北でのデータがないので確かなことはいいにくい.
20cmの等厚線が24km2をおおうから,噴火マグニチュードMは3.7と計算される.

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図2 鷲羽池テフラの厚さ(cm)。AL: 火山豆石、BL: 弾道岩塊(直径50cm)、WS: 湿ったサージ

三俣蓮華岳山頂下の登山道分岐では多量の火山豆石が観察できる.ほかにも2箇所で火山豆石を観察した.
三俣蓮華岳北東斜面にはガラス質の弾道岩塊が地表に露出している.
三俣山荘ふきんには湿ったサージ堆積物がある.
鷲羽池の火口地形は新鮮で,氷食作用を受けていないようにみえる.

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図3 (上)鷲羽池火口。背後は槍ヶ岳。(下)泥炭中に挟まれる火山灰。

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図4 三俣蓮華岳山頂下の登山道分岐で観察できる火山豆石。写真をクリックして拡大すると、火山豆石がよくわかります。

中野(1989)は鷲羽池火口の地形が新しいことに注目してスコリアや爆発角礫層が火口周辺に分布することを報告しているが,北アルプスの広範囲で泥炭中にみつかるこのテフラの存在には言及していない.また,具体的噴火年代についても触れていない.
清水ほか(1988)は鷲羽池ふきんから流した赤沢溶岩のカリウム-アルゴン年代を0.12±0.01Maと報告している.


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乗鞍岳

乗鞍岳の自然誌 1993.9.1

1993.8.28/29に乗鞍岳を訪れた.台風一過の晴天に恵まれて楽しく観察することができた.

アプローチ 中央道松本インターチェンジから1時間(40km)で乗鞍東麓の鈴蘭(海抜1500m)につく.ペンションなどの宿泊設備が豊富.さらに30分のドライブで山頂駐車場畳平(海抜2700m)につく.

火山の配列 南から北へ剣ケ峰,摩利支天岳,恵比須岳,四ツ岳の順に並ぶ.四ツ岳を乗鞍火山に含めるのならば,さらに北につづくアカンダナ山と焼岳もそれに含めていいかもしれない.北よりの後三者はいずれも溶岩ドームである.南よりの前三者は山頂に直径500~800mの火口をもつ火山錐だ.

地形からわかる新旧関係 もっとも新しいのは,権現池がある剣ケ峰の火口から西へ3.7km流れ下っている権現池溶岩流である.左右の溶岩堤防が権現池までつづいていて,そこから溢れだしたことに疑いの余地がない.

次に新しいのは,剣ケ峰から四方に流れ下っている溶岩流(五ノ池,乗鞍高原など)だ.肩の小屋はこの溶岩流の堤防上にある.このときに剣ケ峰の火山錐が形成されたらしい.南東1kmのところにある高天ケ原はこのときの噴火で火の泉をあびたらしく,丸っこい平坦な山頂をなす.崩壊地の断面に火の泉の堆積物である溶結降下堆積物の断面が観察できる.恵比須岳から西北西に5.5km流れ下った溶岩流もこれとおなじくらい新しい.四ツ岳から北へ2km流れた溶岩流も新しい.

一方,富士見岳と里見岳は変質作用をうけた古い溶岩からなっている.桔梗ケ原の平坦面をつくる溶岩流もこれと同じくらいの年代だろう.四ツ岳をとりまく硫黄岳,烏帽子岳,猫岳も同様に古い.これら古い火山体は随所で大規模崩壊を起こして馬蹄型地形をいくつも見せている.崩壊によってできた岩なだれ堆積物に特徴的な流れ山地形が,西側では,蛇出谷と布引滝付近に認められる.東側の鈴蘭から中平までに認められる平坦面もこうしてできた岩なだれ堆積面ではないか.

堆積物断面からわかる噴火史 剣ケ峰の東斜面のうち,溶岩からなる凸地形以外の表面にはスコリアが厚く堆積している.黒いスコリア層の下に水冷を受けた茶色いスコリアがある.その中にはパン皮状にヒビ割れたガラス質岩塊がたくさん含まれる.このスコリア堆積物は位ケ原の平坦面を厚さ1~2mで覆う.235地点における層序は,ハイマツ/20cmクロボク/18cmローム/25cmピート/130cm位ケ原スコリア/100cm降下粘土/70cmローム/火山砂/赤い乗鞍高原溶岩である.

クロボク・ローム・ピートの堆積速度を1mm/年とみなすと,位ケ原スコリアの年代は630年前と見積られる.ただし,乗鞍高原温泉スキー場リフト下(地点229,海抜1920m)では,このスコリアの上に1mのレスがあるから,この見積りは新しすぎるようだ.地点235の海抜は2540mと高いから,位ケ原スコリアの上の地層の一部が欠けている疑いがつよい.おそらく真の噴火年代は3000年前ころだろう.正確な年代を知るためにはスコリア直上のピートをつかって放射性炭素年代測定することが望まれる.

1mの等層厚線が12km2を覆うことから,このスコリアの体積は0.15km3,質量は7.5 x 1010kg(M3.9)と計算される.スコリアの直下にある降下粘土層の質量もほぼ等量(M3.9)である.このときの噴火で流出したと考えられる権現池溶岩は,平均層厚を20mとみなすと,質量1.1 x 1011kg(M4.0)である.したがって,噴火全体の規模Mは4.4となる.この噴火中には何度もラハールが発生したことが残された堆積物からわかる.それは三本滝を通過して小大野川を下って梓川に流入した.

乗鞍高原溶岩のすぐ上には,厚さ数十cmの火山砂が認められる.これが剣ケ峰火山錐の形成時期を示すテフラだ.位ケ原スコリアまでにレスが平均層厚30cm堆積しているから,その年代は6000年前ころだろう.火山砂やレスに覆われた乗鞍高原溶岩は赤色酸化したブロックが多く,表面に風化被膜は認められない.また,海抜1500mの乗鞍高原でもレスの覆いは1mを超えない.乗鞍高原溶岩と同時に噴火した五ノ池溶岩の地形が新鮮で氷食を受けていないことも,この噴火が完新世に起こったことを示唆する.噴火規模Mは5.1(溶岩4.9,テフラ4.8)である.

宮の原ふきんでロームの下に見られる溶岩塊は風化被膜に覆われていて長い間地表に露出していたことを想像させる.氷期を一度以上経験しているにちがいない.この岩なだれ(?)を起こした山体,すなわち桔梗ケ原溶岩などは十万年以上昔(~30万年前)につくられたのではないか.


まとめ

3ka   M4.4 位ケ原スコリア,権現池溶岩
6ka   M5.1 剣ケ峰火山錐,乗鞍高原溶岩,五ノ池溶岩

    恵比須岳火山錐と溶岩流,四ツ岳溶岩ドーム

~300ka 桔梗ケ原溶岩,高天ケ原,富士見岳,山体崩壊-岩なだれ

湯布院

伽藍岳の1597年噴火

伽藍岳といっても,どこの火山かご存じの人は火山専門家のなかにもそれほど多くないでしょう.

別府温泉の西に伽藍岳・鶴見岳・由布岳という三つの火山が並んでいます.どれも複合溶岩ドームからなる火山です.気象庁は鶴見岳としてこの地域を活火山認定しています.『日本活火山総覧』の記述をよむと,伽藍岳は鶴見岳の北端として認知されているようです.

伽藍岳の南には爆裂火口があり,そこから西へ谷がつくられています.この谷の出口で次のような層序を10月22日に観察しました:地表/7cmクロボク/12cm白色粘土/20cmクロボク/14cmぶどう色シルト/クロボク.

ぶどう色シルトは,およそ2000年前に由布岳から発生した塚原熱雲の堆積物です(小林1984地質学論集24).その上にある白色粘土層はラハールの堆積物であると判断されます.クロボクの厚さを使って発生時期を推定すると,およそ500年前に起こったと思われます.

谷の奥にある爆裂火口がこのラハールの発生源ですが,そこはいまも激しく水蒸気を噴出しています.すぐそばには塚原温泉というひなびた一軒宿があって,湯治客でにぎわっていました.宿の対岸の崖には,岩塊をまじえたこの白色粘土層が厚さ60cmで露出しています.

村山磐の『日本の火山』をみると,1597年9月10日(慶長二年七月二十九日)に「鶴見山破裂し,・・・」(豊国小志,大分県,明治四十四年)とあります.しかし,大森史料や武者史料にこのことは書かれていません.

防災対策という面からいって,誰かが史料原典にあたって調べるべき事例だと思い,紹介しました.
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